変容する生徒指導―模索する学校現場―(7)対人専門職を育てる

修正_eye-catch_yoshida弘前大学准教授 吉田 美穂

教員養成の場にいると、多くの教員志望の学生が、「人を叱る」という経験をしてきていないことに気付く。そして、彼ら自身、そのことを不安に思っている。教育実習では、授業を一通りこなせることが中心となり、生徒指導、とりわけ問題行動場面の対処をすることはほとんどない。だが、教員になったその日から、それが求められる。

第2回でも触れたように、生徒指導は、本質的に不安定で不確実な営みである。若手教員は見よう見まねで試行錯誤し、経験を積んでいく。現場によっては、大切なところに欠落があるまま、生徒指導が行われてしまうことがあるのではないか。

福井の中2の自死の事例では、担任や副担任が、生徒の課題忘れや生徒会行事の準備の遅れを度々激しく叱責したことが分かっている。震えるような大声で叱責したり、生徒がやりがいを感じていたと思われる生徒会を辞めろと迫ったりするなどの指導が繰り返された。報告書を読んだ遺族は、「教員によるいじめ」と表現している。もちろん、大半の教員はそんなことはしない。だが、あえて考えてみたい。生徒指導場面で生じがちな教員の「いらだち」についてである。「あんなに注意して、二度とするなと言ったのに」「指導する自分の立場はどうなる」――。

教員は、「指導」が仕事である。日本の学校は、学習だけでなく生活や進路などあらゆることが教員による指導の対象とされる「指導の文化」を持つ。一生懸命指導しても生徒の行動変容が見られないとき、その生徒が自分の仕事を「妨害」する存在に見えてしまうことはないだろうか。教員も感情を持った存在だ。怒りやいらだちがコントロールできないとき、生徒への過剰な叱責となって放出されてしまうことがある。それを肯定しているのではない。あり得ることだからこそ、教員自身の感情のコントロールの問題は、真剣に考えられるべきである。

感情をコントロールして余裕を持って生徒に対応するためには、それぞれの教員が対人専門職としての姿勢と技能を磨いていく必要がある。重要なのは応答能力、つまり、聴く力と語る力だ。さまざまな可能性に思いをめぐらせながら共感的に生徒の声を聴き、信頼関係を築きながら生徒の特性や背景について把握すること。場面や生徒の状況に合わせて、「その行為がなぜいけないのか」を論理的に説いたり、「残念だ」と感情を込めて伝えたり、「その行為は許せない」と毅然とした姿勢を示したり、いくつもの表現の方法を持つこと。こうした力を育てるのは容易ではない。教員が育つ学校現場でこそ、成り行き任せではなく、その育成が意識されなければならないだろう。