AI時代の学校教育と教師に求められる資質能力(6)物事を捉える土台の存在に気付く

eye-catch_1024-768_matsuda_fin東京学芸大学副学長 松田 恵示

  そもそも「AI時代の教育には何が必要か」といった類いの話をする場合、「AI時代には、〇〇、××が必要になるので、これが基礎でこれが基本で…」といった形式で物事を考える癖が私たちには染み付いている。しかし、そのような「手段的教育観」からは、なかなか「生きることを面白くすることのできる人間」は育たないのではないか。

 「面白い」という感覚は、「ほっとする」や「安心する」感覚とは違う。トンネル出口近くで、パッと光が当たって「面」が「白くなる」感覚である。「ワクワク・ドキドキ」する世界に対して、肯定的・積極的に関わる構えである。これは「夢中」なさまに見られる、まさにそのこと自体が「面白い」という目的的な行為の積み重ねの内にしか育たない。「何かの役に立つから学ぶ」というよりは、「学ぶこと自体が面白い」感覚である。

 ところで「教育観」とは、教師が日頃子供たちに向き合うときに、知らず知らず判断の土台となっている価値観や志向性である。しかし、先に挙げたように「手段的教育観」と言われても実はあまりピンとこないように、教師としての自分を相対化して捉えるのは難しい。

 同じように、AI時代に求められる「面白くする」といったある種のコンピテンシーも、普段は気付かないが、物事を捉える土台のようなものに気付き相対化することを伴うものでもある。物事を捉える土台=フレームの存在に気付くこと、さらには自分自身の考え方や物事の捉え方の前提になっている、自分自身が「はまっている」フレーム自体を浮き彫りにしたり、逆に操作したりする能力である。

 これはメタ認知能力とも呼ばれ、文脈を読む力や状況を認識する力、あるいはそうした認識に基づきフレームを再構成できる力を指している。

 学習指導要領でも強調されている「思考力」や「表現力」は、本来このような力との関係で理解する必要がある。与えられた課題でいかに最適解を導くかといった場面で発揮されるよりは、課題そのものを発見し、自分ごととして課題の意味を自ら意味付ける場面で発揮されるものであろう。読解力などは、一つ一つの語義に加えて、文章全体の構造や「文脈」の理解によって表現されている内容を読み取る力であるから、その意味でフレームの操作能力の基本になる力でもあり、メタ認知能力の主要素になるものとも思われる。

 繰り返しになるが、フレームが定められた中での仕事は、人間よりもAIの方が得意である。「with AI」の時代には、フレーム自体を操作して価値を創造できることに、教育の指針を明確に持ちたいものである。

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