AI時代の学校教育と教師に求められる資質能力(8)人間と技術の新しい関係性考える

eye-catch_1024-768_matsuda_fin東京学芸大学副学長 松田 恵示

AIの利活用で教育はどう変わり、何を教える(学ぶ)必要があるのかについて連載では考えてきた。第1回で触れたように、AI時代とは、体の外にある「もう一つ」の知能が使える時代であり、そのような「with AI」の社会が人間の幸福をどのように広げるのかを考えることが教育に求められている。

「技術」には必ず「光」と「闇」がある。

AIにも当然、光と闇の部分が存在する。AIは個人の学習を最適化する、これまでにない新しい技術である。他方で、AIに常に学習を依存する子供を育ててしまうかもしれない。

AIが子供の学習過程を分析し、最適な学習を導くと、子供の学習の主体性を損ない、意欲という要素も外部にコントロールされる可能性がないわけではない。

それは、教える行為を教師という人間ではなく、AIに代替させ得るのではないか、といった、AIへのある種の疑念にもつながる。

例えば、「学ぶ意欲」という問題を考えよう。英語を身に付けたいと思うけれども、つまずきに気づかず、意欲を失っている子供がいたとする。

AIは子供のつまずきを即座に分析し、効率的な学習を導いてくれるはずである。「わかる、できる」体験は、確かに子供の学ぶ意欲を高めてくれるだろう。AIは子供にとって力のある支援ツールになり得る。

AIという技術は、恐らくこれにとどまらない「力」を有している。それは、当該の子供に関するビッグデータの分析から、最もふさわしいタイミングで「今、フランス語の勉強もしませんか」と学ぶ意欲自体を引き出す力である。つまり、「フランス語が学びたい」ではなく、「フランス語を学びたかった」と思わせる働き掛けができる。

ビッグデータの収集と分析が進めば進むほど、ほとんどの生活や学習行動がこのような影響を受ける可能性がある。AI技術が広がるということは、このように、常にその場に最適なガイドに囲まれ、寄り添い介入され続ける状態ともいえる。

これは、インターネットで利用者の傾向が知らないうちに分析され、利用者にとって好ましい情報しか示されない「フィルターバブル」の状況に似ている。しかし、AIは駄目だ、という「技術脅威論」を振り回したり、逆にAIこそが未来だ、といった「技術称賛論」に酔ったりしてみても問題の解決にはつながらない。

本連載で示した「with AI」という言葉は、人間と技術との間に、新しい関係性を広げるものである。

AI技術は、それを利用する人間の主体性を超えてしまう可能性を持っている。これまでにない大きな変化である。そこでは、人間と技術の相互作用的な新しい関係性を探らなければならないし、ある種の新しい「倫理」が求められる。むしろ、教育では、このことを前向きに考える必要があろう。

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