クオリティ・スクールを目指す(128)『君たちはどう生きるか』を読む

eye-catch_1024-768_takashina-school教育創造研究センター所長 髙階玲治

語り合いたい生き方への向き合い方

『君たちはどう生きるか』は、漫画も新装版もよく読まれている。私は、岩波文庫(1982)で読み、次いで漫画を読んだ。原作は吉野源三郎であるが、漫画では描ききれない世界が存在すると考えたからである。

主人公は「コペル君」というあだ名の中学生であるが、その彼が出合う多様な経験について叔父さんがさまざまなアドバイスをする構成になっている。その「おじさんのノート」は漫画にできない。しかし、コペル君が遭遇する出来事のたびに書かれる叔父さんのノートは、原作を読むように適切である。いわば人生論が語られていて説得力がある。

その構成について、説教的だと語る読者がいたが、私が思い出したのは、原作が最初に生まれた1935(昭和10)年当時は、地域共同体のような社会がみられて、子供が何かで親にひどく叱られて泣き崩れているとき、近所に住むおじさんや先輩が話を聞いて、なぜ叱られたのか、どうすればよいか、などアドバイスする環境があったのではないか、ということである。地域に存在する斜めの関係である。

それはコペル君と叔父さんとの関係でもあるが、叔父さんはさらに積極的に哲学的な人生論を語っていて、そうした世界を望む風潮が当時は色濃く残っていたのではないか。

最近は情報化の進展とは真逆に、核家族が多くなり、地域コミュニティーが貧しくなった。子供たちが、生きる上で遭遇する多様な悩みについて、直接アドバイスする存在がいなくなった。

さらに、真面目の崩壊が指摘されるように、中途半端なお笑いがもてはやされて、人生の深い教えを敬遠する傾向が強くなっている。しかし、いつの時代も人生への思いは強く残る。むしろ、求める人間も多い。

そのきっかけとして「漫画」が存在した。漫画は笑うだけのものではない。この図書の成功は、意図を持った編集者である鉄尾周一氏と漫画執筆者の羽賀翔一氏のアイデアによる。「君たちはどう生きるか」という根源的な問いをよみがえらせたのである。

この図書を、中学生に読ませたい。ただし、個々に読んでもよいが、できれば読んで自分が受け止めた思いを学級で話し合わせたい。例えば、出来事のそれぞれと「おじさんのノート」を合わせて、何度かに分けて対話させたい。道徳や総合的な学習の時間を、話し合いの時間に充ててもよい。

そのため、学級の人数分の冊子を購入して、下級生にも引き継いでいくことができないか。

実のところ、「君たちはどう生きるか」という問いは、今の子供たちにとって極めて重要な課題なのである。それは、この図書の内容を通して語り合うことが、自然に近未来の社会の課題へと発展する可能性が大きい。未来に向けた自己の在り方こそ重要である。

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