カリキュラム・マネジメントとは何か?(10)想像力で切り開くこれからの教育

上越教育大学教職大学院教授 西川純

「学び合い」を一緒に

私の教師としての原体験は、最初に勤めた定時制高校です。学力的には最底辺で、分数の計算ができない生徒が多数を占める学校でした。生徒の中には暴走族とそのOBやOGも多数いました。そんな生徒たちに物理を教えたのです。当然、駄目でした。

ただ、先輩教師には恵まれました。先輩たちに慰められ、教えられて教師として成長することができました。しかし、どこまでやっても全員の生徒に学習内容を理解させることはできませんでした。私がしたのは、全生徒を分かった気にさせることです。これはできました。なぜなら、生徒の多くは「分かる」感覚を体験していないからです。生徒に「お前は分かっている」と言えば、生徒はそう思っていました。

生徒たちが抱えている業の深さと重さを知ったとき、私はおののきました。先輩教師からは「一線を越えてはいけない。一人の子供を本当に救うためには、お前の人生を賭けなければならない。しかし、お前には多くの子供への責任があるのだ」と諭されました。

結局、私が実践したのは、授業をハッピーにすることでした。それでも校門を一歩出れば、厳しい業の中でのたうち回る子供がいることを知っていました。愛する教え子の中には学校をドロップアウトしてしまうケースもあります。円満な退学に誘うことも仕事の一つでした。毎日、一升以上の酒を飲みました。飲まなければ目がさえてしまうのです。毎晩、自己憐憫(れんびん)の中で眠りについていました。

結局、私は高校教師として挫折し、大学教師に逃げました。それでも、自分が奈落に突き落とした生徒の顔を忘れることができません。だから、追い立てられるように研究に打ち込み、「あの子たちを救えるのか」という視点で自身の研究を問い続けました。その成果が「学び合い」です。

連載で書いてきたように、子供たちが生涯を過ごすこれからの日本は厳しい社会です。若い教師が過ごすこれからの学校も厳しいです。学校の教師よりも教え方がうまい授業の様子がネットに公開され、子供たちが視聴します。保護者の要求も多様化し、強硬になります。そんな状況に若い教師が立ち向かえるのでしょうか。若い教師とつながることができない中堅教師も教職をどんどん辞めています。

みなさんに訴えます。「学び合い」を一緒に始めましょう。連載にお付き合いいただき、感謝します。

(おわり)