高校ALのタネ ― アクティブな学びを育てる学校経営論(3)スーパー日本史ノート開発

茨城県立並木中等教育学校校長・中島博司

「板書をしていると授業進度が遅れる」「生徒は板書に夢中で私の話をしっかり聞いていないのでは」「そもそも板書って何だ」――。

教員生活5年目を迎えた1989年、私はこのようなことを考えていた。前年に2校目となる茨城県立並木高校に異動した。同校は研究学園都市に誕生した開校3年目の新設校。この高校が、私が現在、校長を務める並木中等教育学校の前身である。

私はその頃、日本史の授業を板書で進めることに限界を感じていた。そこで、自作プリントを裁断して配布し、ノートに貼らせる「ハル=ノート」を考案した。それが生徒から好評を博した。これにヒントを得て、オリジナルノートの開発に着手した。開発前に、誰に見せるわけでもない企画書を作成。名前を「スーパー日本史ノート」にした。目標として「センター試験の日本史平均点で茨城県1位になる!」と書いた。

ノートは、左ページを板書事項の内容、右ページを「FREEページ」とした。左ページの上部バーには、教科書、用語集、図表、史料集のページを記入。日本史学習の土台にした。ノートは、かっこの穴埋め式でない点も特徴だ。時代別に作成し、1年半かけて初版の全9冊を完成させた。生徒たちは、私が印刷したB4判プリントを2つ折りにしてとじ込み、各自でノートを作成した。

生徒は、授業中、講義をしっかり聴きながら、2色のマーカーと赤ボールペンでメモしたり、右ページに図表や史料などを貼ったりして、自分だけのノートを完成させた。同窓会で教え子に会うと「『スーパー日本史ノート』だけは捨てないで取ってあります」とよく言われる。

当時の私は、授業の方法論に強い関心を持ち「受験の日本史」を追究していた。全大学の入試問題を解き、出る用語を3段階に分けて示した。生徒たちは、センター試験の日本史平均点で、見事に茨城県1位を取ってくれた。

その後、私は母校の土浦第一高校で11年間、主に日本史を教えた。改訂を重ねた「スーパー日本史ノート」を使った授業を受けた生徒たちは、センター試験の日本史Bで3度、日本一の平均点を取った。

Z会から話があり、「スーパー日本史ノート」をベースにした「はじめる日本史」という参考書と問題集が出版できた。初版から19年を経た今でも、改訂を重ね出版されている。

私の教諭時代は、三つの学校で学習法や授業方法論を追究する23年間だった。その後、私は、茨城県教委の高校教育課で指導主事・主任指導主事として4年間勤務。取手松陽高校と水戸第一高校の教頭を経て、2015年に校長になった。

「エピソード4」では、校長時代の話に戻り、アクティブ・ラーニングの実現に向けた授業改革について述べる。お楽しみに。

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