イエナプラン ―インクルーシブな学びの実現―(1)市民社会を目指した学校

日本イエナプラン教育協会特別顧問 リヒテルズ 直子

イエナプラン教育は、ドイツのペーター・ペーターセンという教育学の教授がイエナ大学付属校で実験的に始めた学校教育に由来する。実践は、1926年にスイスで開催された新教育フェローシップ第4回国際会議で初めて報告された。その内容が翌年、「小さなイエナプラン」という書名で刊行された。

新教育運動は、欧米諸国の教育学者や教育実践家が、知識伝達型や画一一斉授業中心の伝統的な学校教育に対して、子供の個性と内発的な発展を尊重した新しい形式で授業を試みた。

オランダは、1917年の憲法改正で「教育の自由」を確立し、以来、学校と教員に高い裁量権が認められている。

私立学校の中には、宗派的、非宗派的理念に基づいた学校もあるが、国はこのような学校にも、公立学校と同等の教育費を支給。独自の教育理念や方法での授業実践を推進している。そのため、オランダでは、新教育運動から生まれた外国産のさまざまなオルタナティブ教育が、20年代から盛んに実践されてきた。

イエナプラン教育は、そんな中で、例外的に50年代まで教育界で知られることが少なかった。50年代に新教育フェローシップオランダ支部の書記だったスース・フロイデンタールという女性が、「小さなイエナプラン」を読んで強く心を動かされた。フロイデンタールは、64年に支部の全国大会でその報告をし、オランダ教育界に知られることとなった。

60年代、オランダでは小学生の大量留年が問題になる。背景には、国が学年ごとの必須内容を決めていたため、いずれかの科目で必須内容を習得できない場合は、留年という処置が取られたからである。

留年は国にとっても、子供にとっても望ましいことではなく、問題の解決策が求められていた。69年、留年問題の調査結果がまとめられ、報告書「落ちこぼれへの抵抗」が出た。学年制のカリキュラムを廃し、初等教育全体を通して子供たちが最低限達成すべき目標(現行の中核目標)を提示する制度が推進された。それに伴い、「異年齢学級」を実施しているモンテッソーリ教育とイエナプラン教育を参考にすることも奨励された。