ダークペダゴジー ― 教師をむしばむ負の指導法(8)安易な個人批判を慎む

東京電機大学助教 山本 宏樹

 生徒側の要因もいくつか挙げておきたい。第一の要因に、子供の側の「逸脱的特徴」がある。忘れ物や遅刻、いじめのような逸脱行為のほか、髪の色が生まれつき茶色だといった生得的属性が指導の対象になる場合もある。前回の第7回で触れた愛着障害的特性もここに含まれる。社会学でスティグマ(烙印=らくいん=)という、こうした負の反応を呼ぶ特徴がダークペダゴジーを解禁する標章として機能する。

 第二の要因に、ダークペダゴジーに対する抵抗力の有無が挙げられる。ダークペダゴジーに反論・告発するためのソーシャルスキル、庇護(ひご)を与えてくれる保護者や教師、友人の存在はダークペダゴジーの抑制因として機能する。

 第三の要因に生徒側の「認知的整合化」が挙げられる。ダークペダゴジー体験について尋ねると半数以上のケースで「あの体験があって今の自分がある」「先生は厳しかったが目をかけてもらっていた」など、体験のプラスの側面に話が及ぶ。

 理不尽な体験で人生を空費されることや重要な他者から憎まれ傷つけられることは耐え難いストレスである。そのため、無意識にその理不尽さに意味を見いだそうとする「認知的整合化」が起こりやすい。こうした現象はドメスティックバイオレンス(DV)や児童虐待の被害者にも見られる。

 それに関連した第四の要因に「心的外傷後成長」も挙げられる。人間は事故や災害などの悲劇に際して「認知的整合化」を超える人格的成熟を果たす場合があると心理学で指摘されている。これがダークペダゴジーに格好の正当化根拠を与える。ただ、第5回で取り上げた通り、そこには「生存者バイアス」の問題があるし、成長後もトラウマの苦痛は残り続ける場合が少なくない。

 ここまで生徒側要因のいくつかを挙げたが、「生徒側要因」と「生徒側の責任」は厳密に区別しなければならない。例えば、水俣病のような公害でも、被害者の体力などの違いにより症状には個人差が生まれた。汚染された魚や水を口にしたか否か、危険な土地に住んでいたか否かなど、被害者の個々の判断にも差はあった。

 だが、当然のことながら、公害の責任は廃液を垂れ流した企業や、それを放置した国に求められるのであって、普通の生活をしていた個人の責任は問われない。

 生徒側にいかなる要因があるにせよ、ダークペダゴジーを発動させるのは教師だ。その背後には、個々の教師をダークペダゴジーに追い込む「教育公害」的な過酷な労働環境がある。安易な個人批判は慎まなければならない。

 その点については次回に説明しよう。