ダークペダゴジー ― 教師をむしばむ負の指導法(11)アンチペダゴジーの試み

東京電機大学助教 山本 宏樹

ダークペダゴジーの対策の一つに挙げられるのが、アンチペダゴジー(反教育)である。連載第10回で示したホワイトペダゴジーは、教育による解決をあくまでも目指す。それに対して、アンチペダゴジーは、教育という他者介入の営みに伴う根源的な暴力性を踏まえ、教育以外の方法で代替しようとする取り組みだ。

「ブラック校則をなくそう! プロジェクト」や10段ピラミッドの禁止運動、ブラック部活動の対策プロジェクトなど、近年活性化してきた活動の中には、アンチペダゴジーの志向性が多分に含まれている。

教師が持つ「黒髪直毛が生徒らしい髪型だ」「危険な技に挑戦し、けがをしても得るものの方が大きい」「試合に勝てなければ部活をしている意味がない」といった価値観が変われば、その分「指導すべき問題」は消失する。

そもそも、憲法第25条の生存権を基礎にした生活保護やベーシックインカムの制度が十分機能すれば、人間が学習を押し付けられ、発達を迫られる状況は変わる。

アンチペダゴジーが叫ばれるのは、ホワイトペダゴジーに危険があるからだ。一例として、全国生活指導研究協議会の会員で著名な実践家である高原史朗教諭は、「北風と太陽」の寓話(ぐうわ)を引いて重要な指摘をしている(『教育』2015年12月号)。

北風も太陽も結局は「旅人の思いとは無関係に旅人をどう動かすかを考えている」というのである。つまり、ホワイトペダゴジーもダークペダゴジーと同様に、教師の教育意図の正当性を不問にしたまま、子供を思い通りに動かす小手先のテクニックとして使えるというわけだ。実際、「褒めて伸ばす教育」は、少年兵の訓練やカルト教団の教育でも使われている。

だが、アンチペダゴジーも万能ではない。それは教育が撤退した後の空白を何で埋めるかが問題になるからである。例えば、教師が教育から見境なく手を引けば、学校卒業後の子供を過酷な競争社会に丸腰で放り出すことになる可能性がある。

不要なブラック校則と一緒に必要な校則も削除してしまうと、「スクールカーストで高い位置にいる生徒の言動が常に正義」という弱肉強食の生徒秩序が横行する可能性もある。

アンチペダゴジーとホワイトペダゴジーは緊張関係にある。だが、教育の営みを法や科学に基づいて精査しスリム化することは、教師の限られた時間や労力を真に必要な領域に投入するためにも必要である。

その意味で、両者は相互補完的な関係だとも言える。「よりましな教育」を探究しつつ、「教育よりましな方法」も探求する両面作戦が重要なのである。