職業としての教員―「教師」というレトリック(3)働き方改革への姿勢

教職員支援機構上席フェロー 百合田  真樹人

学校教育現場で働く教員は制度上の役割と社会的な期待を抱えて疲弊している。この実情は多くの人が知るところだ。そのため「学校における働き方改革」では、教員の役割を見直し整理する動きが進んでいる。

特に、放課後や休日にまで及ぶ部活動指導における教員の役割は、教員の働き方の文脈で多くの議論が交わされている。

議論では、教員の役割について二つの視点を明示する。

一つは、教員は制度的に規定された役割に責任を持つという点。もう一つが、教員は社会的に期待された役割にも責任を持つという点だ。ここまでは前回の連載で触れた。

部活動指導の議論では、その指導が教員の本務か否かが争点になっている。ここでも先に挙げた二つの視点が含まれている。部活動指導は教員の本務(制度的に設定された役割)か、本務外(制度の外側で社会的に期待された役割)かという議論に要約できるが、相反するこの二つの視点は、根本的な所で同じ問題を抱えている。

双方の視点を踏まえた議論では、学校教育現場で与えられた役割を担う存在としての「教員」が認識されている。教員の役割を定義付ける議論が、個々の教員とは関係なく進み、その役割が決定されようとしている。だが、教員たちはそのことに驚くほど無自覚である。教員の任意の業務(役割)が本務か本務外かという議論は、教員の役割と責任を決定する最終的な権限を教員の外側に置いている。

放課後や休日にも及ぶ部活動指導、複雑化する教育事務作業や報告業務の増加に伴う長時間労働は、一朝一夕につくられた環境ではない。

雪だるま式に拡大した役割も外部から一方的に押し付けられた結果ではなく、社会的要請や学校現場での対話的プロセスを通じて構築されたのである。

学校教育現場が抱える長時間労働の問題は、全ての教員とその家族、学習者にも直結した問題であるはずだ。制度的改善は最優先で取り組むべきである。

だが、職業的アイデンティティーを持つ教員の多くが、眼前の自らの問題を行政や専門家の議論に委ねてきた側面も否めない。

自律的に判断し行動する「教師」は、教育実践を担う主体者として、その在り方を再考することが求められている。行政判断や制度的な改善を待つだけの受動的な姿勢が、教員自身にあった点を受け止める必要がある。