職業としての教員―「教師」というレトリック(5)「教員」から「教師」への重心移動

教職員支援機構上席フェロー 百合田  真樹人

ここまで、学校教育制度の下、制度的に設定された役割と社会的に期待される役割を担う「教員」について述べてきた。教員は職業集団の構成員であるとともに、与えられた役割を職業として担う、職業的アイデンティティーを持つ存在と言える。

一方「教師」は組織の構成員であることを前提としない。教員が教える主体と教わる客体という制度的な関係性の下で教育実践を担うのに対し、教師は、教育実践を介して他者との関係性を構築し、教える主体としての承認を得る必要がある。この点で、教師のアイデンティティーは対話を通して獲得されると考えられる。

これまで行政文書では、教育実践の主体を表すのに、もっぱら「教員」が使用されてきた。学校現場で教育実践を担う職業的な存在としての教員集団を想定し、その前提の下、さまざまな教育政策や養成システムが検討されてきた。

ところが2005年10月の中教審答申「新しい時代の義務教育を創造する」では、公教育の実践主体の表現を、従来の「教員」ではなく「教師」とした。同答申はさらに、個々の教育実践者が持つ諸能力を「教師力」と定義し、学校教育全体への信頼を教師力の強化で確保するという、新たな教育改革の方向性を示した。

答申に表れた「教員から教師への重心移動」は、その後の教育政策の言説にも表れている。背景には、急速に変化する社会と複雑で多様化する学校教育課題がある。

これらに今後対応していくには、個々の教員の力量不足が足かせになると考え、そこに焦点を当てたのである。教師力の強化をうたったのも、学校教育とその制度の構造的な問題や、教員集団が組織的に抱える課題ではなく、教員個々の力量を問題にしたためである。

結果、それまで制度に規定された役割や研修に取り組む受動的な客体だった「教員」集団は、教師力のレトリックによって集団から切り離され、社会変化に自律的に判断・行動する主体として個別に責任を負う、「教師」への変容を求められるようになった。

つまり、当時新機軸として打ち出された教師力の強化は、複雑で多様化する学校教育課題を個々の教員の力量の問題にすり替え、同時に、集団としての教員から、尊敬や承認を集める主体としての教師へと変容させるためのレトリックだったと考えられる。