【校長としての心構え(2)】判断することの大切さ

元東京都立西高等学校長 石井 杉生
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責任を取る者が行うというルール

日々自覚的に判断しているか

「大切なこと」シリーズの第2弾として、今回は、「判断することの大切さ」について考えてみたい。多くの方はそんなことは当たり前と言われると思うが、「あなたは学校に関する案件を日々自覚的に判断しているか」と問われて、自信を持って肯定できる校長はそれほど多くないのではないかと思う。

都立高校改革を通して、私は、「責任を取る者が判断をする」ルールが学校のガバナンスを確立する上でとても大切なだ、と感じた。1997年度に都立高校で起こった習熟度別授業の未実施問題なども、この「責任を取る者が判断する」というルールが確立できていない時代の事件である。

かつて、「◯◯ということが、会議で決まった」という言い方が広く使われていた。よく考えると、これは非常に微妙な言い方で、誰が決めたのかが明確にならないようになっている。しかも、会議録はほとんどない。校長時代に、ある事項が決まったと報告されると、必ず「誰が決めたのか」を尋ねた。

例えば、「1年の学年会で決めました」と答えが返ってくると、「分かりました。1年の主任の◯◯先生に理由を聞いてみます」と言った。会議が決めるのではなく、人が決めているのだというのを明らかにすることが大切だと思ったからである。その人が責任を負うのを確認するためである。これを徹底すると報告の習慣ができるようになる。

判断の理由を明らかにする

判断を述べる場合には、できるだけその理由も併せて述べるようにした。この理由を語るのもとても大切である。生徒指導は指導の一貫性が大切だが、あるとき、生徒と家庭の状況から、従来の指導ルールとは異なる特別な指導を行おうと決断した。このような場合、校長の決断に意義を唱える教員が多い。私は正直に、「私の決断した指導をすると、◯◯というマイナスがある。しかし、従来の指導ルールに基づく指導をすると、それよりもっと大きなマイナスが生まれる可能性が高い。だから、今回はいわば『緊急避難』という考え方に立ち、このような決断を行う」と説明した。

これには、全員の教員が納得してくれた。私が理由を述べるようにしたので、多くの教員が意見を言う際に理由を述べてくれるようになった。それらを聞いていると、意見の対立は、それぞれが持っている生徒観や指導観の違いに基づくものが多いと気が付いた。それ以来、自分がある判断を下す前に、異なる生徒観や指導観に立って判断した場合はどうなるかを事前に考えるようになった。結果として、より広く納得が得られる判断が可能となったと思う。

判断保留も一つの判断

校長就任間もない4月のある日、5月に実施する運動会の起案が回ってきた。添付資料は運動会の実施要項と開催案内のみで、とても判断するに十分な資料とは言えない。起案者である生徒部の主任に来てもらい、「どんな運動会なのか」と聞いた。聞かれた方もどこまで答えればよいのか戸惑っている様子だった。どのような内容の競技種目なのか、安全面は大丈夫なのか、天候が急変した場合の対応はどうするのか、などいろいろな疑問があったが、開催案内を出す関係で、決定が急がれた。そこで、「判断保留」と言いながらはんこを押した。

「判断するための十分な資料がないので、これでよいとも駄目とも言えないが、とりあえず進めていいです」という趣旨である。判断に必要な資料を求めるのが、起案決済の正しい在り方であろうが、1日の運動会の全体が判断できる資料となると実は膨大である。このように学校には起案決定になじまない部分がある。その場合は「判断保留も一つの判断」と考える。

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