校長のパフォーマンス(95)現代の教養とは何か

eye-catch_1024-768_takashina-performance教育創造研究センター所長 髙階玲治

数学者で作家の藤原正彦が『国家と教養』(新潮新書、2018)で教養の在り方を説いている。その内容は、ギリシャの教養がルネサンス時代に西洋で花開くありさまや、ドイツ、英国などの教養の考え方の違い、またわが国において漱石や鴎外が身に付けた明治期の教養とその後の衰退など、かなり詳しく論じていて興味深い。

しかし、最近は「教養」という言葉をほとんど聞かなくなった。ただ、教育に関しては2002年に中教審が『新しい時代における教養教育の在り方について』(答申)を出している。

その答申は、今なぜ「教養」なのかの問いに、冷戦構造崩壊後のグローバル化、少子高齢化、都市化、情報化、科学技術の進展などの社会変動を迎えて、既存の価値観が揺らぎ、社会共通の目的や目標が失われていることから、自らの立脚点を確立する新しい時代の教養教育が必要だとしている。その後、教養教育がどう伝播(でんぱ)したかは不明だが、ともあれ現代において求められる「教養」とは何であろうか。

藤原正彦は、自分が育った環境から猿飛佐助のような立川文庫や江戸時代の素朴な生活感覚に郷愁を覚えているようであるが、その「教養」観を要約すれば次の四つが基本だとする。

①長い歴史を持つ文学や哲学などの「人文教養」②政治、経済、歴史、地政学などの「社会教養」③自然科学や統計を含めた「科学教養」――である。そして、これらは常識的なものだと断った上で、力説したいことはこれらに加えて、④「そういったものを書斎の死んだ知識としないための、生を吹き込むこと、すなわち情緒とか形の修得が不可欠」――と述べている。社会や生活を知る大衆的な読み物も教養を培うという。

文学や哲学、音楽など知的な教養人を多数輩出したドイツが、なぜヒットラーを生みだしたのか。それは一般大衆を見下していた教養市民層に、政治意識と社会性が決定的に欠けていたからだという。そこで藤原正彦は、先にあげた四つの教養に含めて、どうしても付け加えたいものとして大衆文化教養があるという。大衆文芸、芸術、古典芸能、映画、マンガ、アニメなどである。さらに、「教養」を社会や政治、生活などとの関わりで身に付けること、そのために必要なのは「読書」だと、その指針を示す。

最近、読書離れが激しく、大学生の半数が月に1冊も本を読まない実態があるというが、その大学生に読書ゼミで本を読ませたところ、見る見る変わったという。読書は個々の実体験を超えた多様な世界に導いてくれるから、自らの視野を果てしなく広げてくれるのである。

その意味で「教養」とは、世の中にあふれる多様な情報から自らの立脚点を見いだし、「大局観」を創り出す働きである。変動の激しい社会状況において、「教養」はますます必要とされる人間としての資質・能力ではないか、と考える。