公教育の私事化(3)公人を育てる意義

東京都教委特任教授 獨協大学非常勤講師 岩崎 充益

2011年3月11日、三陸沖を震源とする大地震が東北地方を襲った。日本の観測史上最大となったこの大地震は巨大な津波をもたらし、沿岸地域を中心に甚大な被害を与えた。福島第一原発は深刻な原子力事故を起こし、今でも5万人超の人々が避難生活を送っている。

この地震と津波の日――3.11からわれわれ日本人は何を学んだのだろう。日本のみならず、人類の歴史上永遠に記録されるであろうこの大惨事から、筆者は「絆」と「連帯」の大切さを学んだ。

人は社会で生かされていることを実感した。「私」的なことに集中しがちな関心を「公」的なもの(public)に向けるきっかけを与えてくれた。

3.11以降、奉仕活動に従事する人が増えている。震災地のために、社会のために献身的に働こうとする人は「公人」である。自分自身の利益より、公の利益を優先的に考えられる人である。

「公教育」の目的は公人を育てることであり、有能な国民を創ることである。有能とは、単に知識量の多寡で判断されるものではない。この先日本が進むべき道を見極めるため、「雰囲気」「空気」に翻弄(ほんろう)されることなく、各個人の意志、意見を持ち、公に表明する人を育成する必要がある。

グローバル社会の到来により、物理的にはボーダーレスになったが、意識的には自分の属する国を強く意識するようになった。

日本の未来を担う人材は、この国をどうデザインするのか、真摯(しんし)に考えられる「民」である。ここでいう「民」とは、ドイツの哲学者であるハンナ・アーレントが定義した「政治的なものを担う民」を指す。日常生活の全てをなげうって政治に関与するのではなく、必要なとき、政治に参加する。そのために、日々自己の陶冶(とうや)に余念のない人のことである。

選挙は政治に関与する手段の一つである。13年の夏に行われた参議院選挙の投票率は52.6%で、戦後3番目の低さであった。特に20代の投票率は相変わらず低く、インターネットを利用した選挙活動の解禁で若者層の関心アップを期待したが、かなわなかった。

選挙で投票することは、国民一人一人の社会への「現れ(appearance)」であり、社会を構成する国民としての義務でもある。投票率の低下は、国民一人一人の公人としての意識が薄くなっている証左であろう。