公教育の私事化(5)高校が序列化した理由

東京都教委特任教授 獨協大学非常勤講師 岩崎 充益

後期中等教育(高校)が序列化した経緯を概観してみよう。

日本の戦後教育は「画一的」「平等主義」といわれる。ベビーブーム世代を抱えて50人以上を一つの教室に詰め込み、全国的に同一の教材、同一の進度で授業を進めてきた。

当時の子供は先生に教えを請う姿勢が強く、教師の権威も今より強かった。子供はひたすら知識の吸収に専念していた。

児童・生徒数の増加に対応するために、各地で学校が新設された。土地取得の際には、住民の声を尊重しなければならない。新設校に対し住民らが示したのは「普通科志向」だった。高校の普通科は大学・短大など高等教育へ進む既定路線と考えられていたためである。

実際は期待されたほど大学進学率は伸びなかったが、普通科設置校が増設されるにつれ、地方の産業を支える人材を育成する目的で設置された職業高校(後の専門高校)は相対的に下位に位置付けられるようになった。つまり、「普通高校に行きたくても入れない生徒が入学する」学校という位置付けである。

過去の高校進学率を見ると、終戦直後は4割そこそこ、1954年になると5割を超えている。以降、ずっと右肩上がりで伸びていき、1975年からは横ばいになる。

当時文部省にいた寺脇研氏は、75年に進学率が止まり、84年に臨教審が発足するまでがミスマッチの10年だったと言う。教育する側はとにかく地元の1番進学率のよい高校へ進学するのがもっとも幸せだろうと考える。

そのために、成績がいい中学生は地元の職業高校へ進みたいと思っていても、普通校へ行けという進路指導を受けることになる。このミスマッチが中学校の「荒れ」を引き起こす一因となり、高校の序列化を促進させた。

臨教審以降、日本の教育は「競争の原理」と「選別」により分断化されてきた。公私立を問わず教育産業が学校教育の場に進出するようになり、一部私学の、高校入試のない6年間の一貫教育が、大学受験に向けたエリート教育として認知され、私立中学受験が過熱した。

学校はエリートと落ちこぼれを選別する場となり、「学び」の形は、国が求める「能力主義」に基づき変容していった。