寺脇研の平成の教育30年史(3)国民に受け入れられた平成初期の教育改革

星槎大学客員教授 寺脇 研

1990年代、すなわち、平成の最初の10年間は、臨教審が打ち出した方針は順調に実施されていった。当初こそ、生活科によって小学校低学年の理科、社会科が廃止されたことによる「教科学力低下論」、旧弊な意識からの男子の家庭科必修反対、月1回の学校週五日制を家庭や地域がカバーすることへの懸念などがあったのは事実である。しかし、それらはいつしか杞憂(きゆう)とされ、社会も改革の動きに共鳴する気配が濃くなっていった。

91年にバブルが崩壊すると、それまでの物の豊かさのみを追求する風潮への反省から、心の豊かさに目が向けられるようになってきた。臨教審答申にあった「社会の成熟化」という言葉が現実味を帯びるようになる。

95年の阪神・淡路大震災では多くのボランティアが被災地への支援活動をし、その後も97年のナホトカ号重油流出事故など、大きな災害や事故が起こるたびにボランティアの活躍が注目されるようになり、日本にもボランティア活動が根付き始めた。

一方で95年のオウム真理教事件、バブル崩壊後の大企業や経済官僚の体たらくは、「いい学校からいい会社」という「形式的な学歴に偏った人間評価」の限界を露呈した。偏差値のみによる高校進学指導の是正、高校総合学科の新設、学校週五日制の月2回への拡大、農業、工業などの「職業高校」を「専門高校」に改めた上での活性化、中学校の職場体験学習といった90年代の新しい施策はおおむね好評を博していく。

「子どもたちに[生きる力]と[ゆとり]を」と唱えた96年の中央教育審議会(中教審)答申「21世紀を展望した我が国の教育の在り方について」は、臨教審答申をさらに具体化し、社会の変化を見据えて、自分で課題を見つけ、自ら考え、自ら問題を解決していく資質や能力を求めた。これは多くの国民の支持を得られただけでなく、独創的な経済人の団体である経済同友会からも、その方向への転換を急ぐよう求められるほどだった。

高度経済成長からバブルと、経済的繁栄を享受し続けてきた日本社会も、その限界を知ることにより、精神的に成熟した生涯学習社会に転換する価値を認めたかに見えた。

98年に告示、2002年に実施された小・中学校の学習指導要領は、前述の中教審答申に沿って完全学校週五日制や小、中、高校での「総合的な学習の時間」の新設が目玉となった。発表時点では、あらゆるメディアから高い評価を得たのである。平成の教育改革は社会の意識変化とシンクロして順風満帆に進んでいたのである。この時期までは。


【プロフィール】

寺脇研(てらわき・けん) 1952年、福岡市生まれ。75年東京大学法学部を卒業後、文部省(当時)に入省。生涯学習局(当時)の新設、高校の総合学科創設などに携わる。2002年度改訂の学習指導要領でうたわれた「ゆとり教育」を推進する一方、「脱ゆとり教育」を求める批判の矢面に立った。文化庁文化部長などを歴任し06年退官。07年より京都造形大学教授。現在は星槎大学大学院教育学研究科客員教授。著書に「危ない『道徳教科書』」(宝島社)など多数。