公教育の私事化(9)教育におけるエビデンス

東京都教委特任教授 獨協大学非常勤講師 岩崎 充益

教育経済学者である中室牧子氏の『「学力」の経済学』がベストセラーになった。あるパーティーの席上で同氏と、教育におけるエビデンスについて話がはずんだ。

中室氏は「日本の教育行政はなぜ教育データをもっと公にしないのか」といい、具体的にどのようなデータが必要なのか尋ねたところ、「個々の生徒の全国学力テスト結果と生徒保護者の所得金額、生活実態が分かれば、もっと真正(authentic)な教育の付加価値(value-added)の分析ができる」と返ってきた。

今日の社会において、科学的根拠なしに「学校が変わった」「生徒が変わった」と教育上の変化を語るのはタブーになりつつある。

2015年12月に開かれた経済財政諮問会議では、教育政策の質的向上を図る方策が報告され、学校や周辺環境に関する数的・量的データ、事例などを調査・分析し、いわゆる「エビデンス」を活用した政策を一層推進することが重要とされた。

大阪市は、同市や府教委が実施する学力テストの成績を、小・中学校の校長の人事評価に反映させると発表したが、これは適切な方法とは言えない。学力テストの結果に影響を与えるのは、校長の指導力や教員の教育力だけではないからだ。

児童・生徒の学力の変容について語るとき、▽部活動に所属しているか▽所属している場合、運動部か文化部か▽塾に通っているか▽親の年収――のような児童・生徒の生活状況に加えて、学校の教育資源の差など多くの要因が影響することや、それら要因同士が組み合わさって生じる相乗効果を忘れてはならない。

そうしたバイアスを取り除かなければ、「校長の指導力や教員の教育力がどの程度よい影響を及ぼしたか」を測る真正なエビデンスは得られない。

一方で、エビデンスに関して今の日本の教育界を見直すと、数値など統計学偏重の傾向にあるのは否めない。

「現象学」で知られるオーストリアの哲学者フッサールは、「現象とは『一人称』の意識体験。自分の体験を反省し、『確かにこうなっている、そうとしか思えない』ということ」と概念を示した上で、このような体験反省の持つ確実性を「(体験)反省的エビデンス」と呼び、数値などに基づく「科学的エビデンス」と区別した。

この「(体験)反省的エビデンス」は心の窓から自分の学びを見つめることであり、認知学習にも通じる。アクティブ・ラーニングのあるべき姿を省察する上で重要な視点だ。

日本のみならず、21世紀のOECD各国が目指す教育の目標の一つは「教員と児童・生徒」「児童・生徒同士」の関わり合いだ。その成果は科学的エビデンスでは測りにくい。

科学的エビデンス中心主義で日本の教育を語る前に、学校という空間で「人間と人間との関わりを営むことが教育」という原点に立ち戻る必要があるのではないか。