寺脇研の平成の教育30年史(7)「学びのすすめ」の余波

星槎大学客員教授 寺脇 研

2002年4月からの新学習指導要領と完全学校週5日制実施まで3カ月を切った1月初旬、私は省内のとんでもない動きを察知した。

遠山敦子大臣の命により、小野元之事務次官から「確かな学力」の向上を強調した通達を全国の教育委員会に向けて発出するというのである。次官通達は公文書だ。それで学力向上をうたえば、世間の学力低下論の流れに乗ってしまうことになる。4月から実施される、新しい教育課程の最終準備段階に入った学校現場が大混乱に陥るのは必至だった。バックアップしてくれているPTA組織も戸惑うだろう。

「これはまずい」

大臣官房審議官という事務次官直属の部下の立場にあった私は、小野次官に直接そう進言した。しかし大臣の意向は強いという。そこで、公的な通達でなく大臣個人の私的アピールにしてはどうかと提案し、その形に改めた。内容も、学力向上だけでなく「学ぶことの楽しさを体験させ、学習意欲を高める」など、新学習指導要領の本来の趣旨に即した内容を加えさせてもらった。

それでも、題名が「確かな学力向上のための2002アピール『学びのすすめ』」になったため、世間からは、大臣が学力低下論に配慮した軌道修正を求めたものと受け止められた。そして案の定、学校現場は大いに当惑する。PTA組織の代表は大臣に面会を求め、学力向上重視との誤解を招かないように要望したのだが、全く聞き入れられなかった。

私たち担当者は、教育委員会や学校現場、PTAを駆け巡り、新学習指導要領の趣旨は全く変わっていないこと、学校週5日制への対応では、地域の自主的学習の場や図書館、公民館で子供の多様な学びに対応する体制が整備されていることを精いっぱい力説した。それでも、直前に出たアピールの影響を完全に払拭(ふっしょく)するまでには至らなかったのである。

対応に追われるうちに慌ただしく4月を迎えた。賛否両論が渦巻く中、それでも学校週5日制はスタートしたし、「総合的な学習の時間」も始まった。私は東京都三鷹市立第四小学校や京都市立祥豊小学校で「総合的な学習の時間」のゲストティーチャーを務め、「学ぶことの楽しさを体験してもらうことがどれだけ子供たちを変えるか」と、実際に手応えを感じていた。

しかし大臣の考えは変わらなかった。通常国会が終わった後の8月の人事で、私は事実上更迭され、教育改革と全く無縁な文化庁文化部長を命じられた。それまで数年にわたりスポークスマンとしての役目を果たしてきた私の退場は、大臣からの「ゆとり教育」の見直しというメッセージでもあったのである。


【プロフィール】

寺脇研(てらわき・けん) 1952年、福岡市生まれ。75年東京大学法学部を卒業後、文部省(当時)に入省。生涯学習局(当時)の新設、高校の総合学科創設などに携わる。2002年度改訂の学習指導要領でうたわれた「ゆとり教育」を推進する一方、「脱ゆとり教育」を求める批判の矢面に立った。文化庁文化部長などを歴任し06年退官。07年より京都造形大学教授。現在は星槎大学大学院教育学研究科客員教授。著書に「危ない『道徳教科書』」(宝島社)など多数。