寺脇研の平成の教育30年史(9)30年をかけた新時代への転換

星槎大学客員教授 寺脇 研

「脱ゆとり」の大合唱は、2011年4月からの小学校学習指導要領の実施が近づくにつれ、高まる一方だった。はかりで新旧の教科書の重さを比べ、どれだけ増えたかを大げさに言い立てるテレビ番組さえあった。

しかし、実施直前に起きた東日本大震災と福島第1原子力発電所の事故が、そうした空虚な騒ぎを吹き飛ばした。

思い出してほしい。「ゆとり」と「生きる力」を掲げた96年中教審答申は「単に過去の知識を記憶しているということではなく、初めて遭遇するような場面でも、自分で課題を見つけ、自ら考え、自ら問題を解決していく資質や能力」が重要だと強調していた。

津波による地域の壊滅や原発の制御不能状態は、まさに「初めて遭遇するような場面」だった。

それだけではない。96年答申が「これからの社会の展望」で示した「かつて経験したことのないような少子・高齢化社会」は刻々と進んでいるし、格差社会、激動する国際関係、人工知能(AI)をはじめとする科学技術の急速な進歩を目の当たりにすれば、「変化の激しい、先行き不透明な、厳しい時代」という未来への見通しが的中していたことも明白だろう。

これからを生きる子供たちには、それらに対応していく力こそが必要不可欠だ。

この事実に、それまで「ゆとり教育」を批判していた勢力も気付かざるを得なかった。

震災後に成立した第2次安倍晋三政権は、遮二無二学力向上を叫んだ第1次政権のときとは一転して、教育改革の方向に「アクティブ・ラーニング」を掲げた。20年から順次実施される次期学習指導要領では「主体的、対話的で深い学び」が小・中・高を通じた根本方針に位置付けられた。

この考え方は明らかに、96年答申が示した理念とつながっている。「主体的」とは「自ら学び、自ら考える」であり、「対話的」とは「総合的な学習の時間」のような学習方法であり、「深い学び」とは与えられた知識の暗記でなく「自分で課題を見つけ、自ら問題を解決していく」ことだからだ。

「ゆとり教育」には、20年近くにわたるマイナスイメージが植え付けられてしまったため、あえて別のキーワードを設定したのだろう。

「これでは学力が下がる」との反対の声も、ほとんど聞こえない。国民も意識を変える必要性を感じているのだろう。02年の学習指導要領のときのように、大臣や文科省の姿勢が揺らぐ恐れもないはずだ。

臨教審答申から約30年、それを受けて教育改革の具体的方途を設計した96年答申から四半世紀近くがたった。「令和」という新しい時代が始まる20年代に至ってようやく、学校教育の在り方は完全な転換を果たそうとしている。