令和時代の扉を拓く(1)未来予測の難しい時代を迎えて

教育創造研究センター所長 髙階 玲治

わが国にのみ残る元号によって「平成30年」の思いが雑誌の特集になっている。

私個人もまた平成は感慨深いものがある。私が国立教育研究所(当時)に勤務したのは平成の始まる前年の10月で、それ以来何かと時代の波に付き合わされてきた。

担当した職務が主に全国教育研究所連盟関係などだったために都道府県すべてに足を運んだが、当時は学校週5日制、ゆとり教育などで時代が大きく転換し始めていた。

ただ、「ゆとり」時代は基本的に「学び」の本質的な認識が十分でなかったが、その後のPISAのコンピテンシーや、アクティブ・ラーニングによる「学びに向かう力」の形成は教育を未来形へと導いたと言える。

また、平成の前半は教師へのパソコン導入が課題であった。ケータイすらほとんど普及していなかった時代である。その意味で平成の後半はデジタル機器の学校導入が大きな課題となっている。デジタル世代の誕生でもあった。

しかし、時代はさらに大きく転換する。「超スマート社会」といわれるSociety5.0の出現である。まさに、令和時代はその大きな転換に遭遇することは確かである。

その主役は、AIやIoTなどである。NHKで『超AI入門』が放映されているが、AIの進化は目覚ましく、週ごとのテーマは車や医療のみでなく、「会話する」「感じる」「発想する」「恋愛する」などの分野にまで進出している。片付けロボットや人に愛される家族型ロボット(LOVOT-ラボット)もある。

まさに近未来のAI時代の到来を予測させるが、学校教育への導入はどうであろうか。

AIの特徴は、膨大な知識量から必要な内容を瞬時に伝えることを可能にすることで、教室に入り込んできた場合、ある部分について教師の仕事を教師以上に成し遂げると考えられる。

英会話ロボットのように既に導入されているものもあるが、ただイメージ的には多様な形の導入が予測されるのみで、学習にどういう形で入り込んでくるか不明である。

恐らく令和時代は、AIなどデジタル機器と教師の共存する関係が創られる時代になると考える。教師の役割は、AIでは決して成し得ない子供との人間的な教育的触れあいが重視されるようになる。

そこに至る過程で教師はどうあるべきか。今のところ、AIを導入できる体制はまったくできていない。ただ、教師の構えとして、既存の指導における枠組みに固執せず、たとえ複雑な課題が出現しても柔軟に対応する創造力や革新性を持つように努力するしかない。

その場合、わずかだがAIなどの活用実践が一部で行われつつあることに関心を持ち、できれば情報を収集しながら、未来志向として教育の在り方に思いを巡らすことがベターでないか、と考える。まさに令和時代の扉を自ら拓(ひら)く積極性を持ちたいと考える。