【校長としての心構え(8)】合意形成をすることの大切さ その2

元東京都立西高等学校長 石井 杉生
この連載の一覧

意見の分岐点が明らかになるまで掘り下げる

話し合いを意義あるものにするために

前回は、「進路ノート」を導入しようとする人と、それに反対の人の意見の対立について述べた。

根底にあるのは主体性をどう育てるか、を巡る意見対立であった。自主性や主体性をどのように育成していくかはなかなか難しいテーマだと思う。自由に、好きなようにやらせることを主体性の育成とは言えないだろう。かといって、あれこれと面倒を見すぎるのも問題がある。

そこで、「進路ノート」を作成することが生徒たちの自主性や主体性を阻害するのかどうかを考えてみた。

熱心に学年進路通信を出していた学年の生徒たちが、他の学年の生徒たちと比べて自発的・主体的でなかったわけでは全くない。これは、「進路ノート」を作ったとしても自主性や主体性を阻害しないことの大きな証拠になると見なした。

むしろ「進路ノート」を使っていろいろ課題を出したり、自分の考えを整理させたりするのを通して、生徒たちが啓発されていくだろうと考えた。

反対派は、この部分を「啓発される」のではなく、「やらされることで主体性をなくす」と考えるから反対しているのだと理解できた。

しかし、私から見れば、規制されずに好きなことをやっている生徒は、一見主体的なように見えるが、単なるわがままに近いものである。前回触れた「守破離」の「守」(=守らなければならない基本)を学校が作り、一つの価値観を示さなければ、それを乗り越えて大きな人間にはなれないと考えた。

そこで、「進路ノート」導入後の生徒の自主性や主体性がどうなっていくかを注意深く見つめることを条件に、最終的には私の考えた通りに決定した。決定の前に考え方の違いを説明したのがよかったのか、その後、声高に反対する人はいなくなったし、「進路ノート」は次の学年から順調に導入されるようになった。もちろん内心では納得していない人もいたのだろうが、表面的には合意形成がなされたと考えられる。

職員会議の活用

これら一連の経緯の中で、職員会議の使い方についても難しいと感じた。職員会議が必要ないと言っているのではない。

校長時代に、会議の精選を検討したとき、一時職員会議の廃止も俎上(そじょう)に載ったが、廃止する気は毛頭なかった。2週間に1回、時間にして1時間弱しかないが、職員会議で職員全員に会うのがとても楽しみだった。ただ、議論の場として有効に活用するのは難しい、ということである。

私は教員として13年都立高校におり、その後15年教育行政にいたので、校長に赴任したときに記憶にあった職員会議といえば、多数決による決定方法が主流の、昔ながらのスタイルであった。

昔を思い出しても、残念ながらあまり有効な議論がされていたようには思えない。会議に参加する人が、意見の対立を乗り越えて合意形成をしようとする態度があまり見られなかったからである。

一つ一つの意見の中には傾聴に値する主張がないわけではないが、それらの議論が交わされたときに、さらに高い次元での、それまで思い付かなかったような素晴らしい合意がなされた経験をしたことはない。どちらかというと自分の意見を声高に主張するのに終始していたように思う。

合意形成が難しかったので、結局多数決で決める以外に終わりがない状態だったのだろう。多数決決定が禁止された現在、職員会議の有効性を高められる好機かもしれない。

意見の分岐点が明らかになるまで議論を掘り下げ、賛成はできなくとも、その考え方があることを認められる所まで話を煮詰める努力を、お互いがしていくべきだと思う。

この連載の一覧
関連記事