クオリティ・スクールを目指す(149) 子供を励ます通知表に

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教育創造研究センター所長 髙階玲治

指導要録との連動はなぜ必要か

最近、ある校長が「小学校時代の私の通知表が出てきたんですよ。ただ、担任の書かれた文章がぞんざい過ぎてびっくりしました」と言っていた。その校長の小学生時代といえば50年ほど前で、母親が大事に取っておいてくれたものであろう。

このように、通知表は1年間の学習成果を知る大事なもので、親子にとってはいつまでも保存しておきたい宝物でもあった。その通知表が、これからは無味乾燥な紙片に変わりそうである。

この3月に指導要録の改善通知(小学校、中学校、高等学校及び特別支援学校等における児童生徒の学習評価及び指導要録の改善等について)が出されたが、記載事項が同じようであれば通知表と共通にしてもかまわないとされたからである。

その指導要録の各教科等の記録欄をみると、どの教科も「知識・技能」「思考・判断・表現」「主体的に学習に取り組む態度」のオンパレードである。極めて形式的で硬直的な印象である。

学力の三つの柱の「学びに向かう力」の代わりに「主体的な態度」とされているが、前回の学力観に戻った形である。

周知のように、指導要録は在籍証明と成績証明の二つの機能を持つが、後者の記録が難しいとされて簡素化が求められてきた。今回の改定は一見簡略化されたようにみえるが、各教科の三つに絞られた項目をどうまとめて評価するか、むしろ極めて難しくなったのではないか。それをさらに通知表で、子供にも分かるようにどう表現できるであろうか。

指導要録は、これまでも極めて活用度の低いものであった。ある中学校で教員に「指導要録を2度以上見た人は?」と聞いたところ、誰一人手を挙げなかった。今回の改善は指導要録の形式化がさらに進んだ印象で、成績証明の必要性さえ疑わしい。

さらに、指導要録と通知表を連動するのは別問題である。親や子供にとって重要なのは通知表である。通知表は法令に基づく文書ではない。学校が子供のために必要と考えて作成されるものである。

それが、いつからか通知表の3学期の成績が指導要録に転載されるようになった。その背景は記録が難しいとされたことと、教師が多忙で作成に時間が十分取れなくなったことである。かくて形式化がどんどん進み、学校の個性的な通知表が消えていった。つまり、通知表が指導要録に連動するようになったのは多忙化のせいが大きいのである。

しかし、学校の働き方改革は子供へのよりよい教育実現に向けた動きでもある。そうであれば、通知表は子供に対してどうあるべきかを考えて、子供が喜び、子供が励まされる形に変えるべきではないか。それとも、働き方改革は、そのような時間すら保障できない、実効性を伴わない改革なのであろうか。