教師集団の学びとリフレクション(2)理屈で説得するアプローチの限界

東京学芸大学教職大学院准教授 渡辺 貴裕

「リフレクション」が経験を振り返って学びを引き出すことだというと、「改善につなげる評価みたいなものでしょ。授業を見るときに観点を決めて、できたかどうかチェックし合っていますよ」「教師同士で相互評価をしてアドバイスし合っていますよ」といった声が聞こえてきそうです。

けれども、本連載で扱うリフレクションは、それとは発想を異にしています。実践者に「こう捉えられるのか!」というようなハッとする気付きをもたらすものであり、決められた観点に基づくチェックというよりも、もともと持っていた見方が揺さぶられるようなものです。

なぜ、リフレクションがそうしたものである必要があるのでしょうか。

教師の行動は、授業の組み立て方であれ、子供への応答の仕方であれ、基本的に変わりにくいものです。本人が変化を望んでいる場合でさえ、実際に変えることは容易ではありません。

そうした際のサポートとしては、授業を見てどこがよくないかを指摘したり、望ましいと思われるやり方とその理由を説明したりするのが一般的です。いわば、理屈で説得しようとするアプローチです。

しかし、多くの場合こうしたアプローチは、あまり効果的ではありません。先輩や指導担当として新任教師に問題点や改善策を何度も伝えているのに、一向に変化が見られずやきもきした経験を持つ先生もいるでしょう。

理屈で説得するアプローチでは、教師の行動に関して次のようなモデルを想定していると考えられます。それは、教師は授業に際して「状況の認知→解釈→論理的思考→判断→実行」というように合理的な意思決定を行っているというもの。確かにこれが事実であれば「こういうときにはこうするのがよい」と理屈で示すアプローチも有効でしょう。

しかし、わが身を考えてみても、実際にはそれほど順を追って考えているわけではなく、むしろもっと直観的で、その時の自分にとって「自然」と思えるやり方で動いている人が多いのではないでしょうか。

だとしたら、理屈での説得には限界があります。その人の「自然」が組み替わっていくようなアプローチが必要になります。

次回、この「自然」を「ゲシュタルト」という概念で説明したコルトハーヘンの議論を参照しながら、どうリフレクションの話につながるか見ていくことにします。