論理的思考を鍛えるアカデミックライティング(2)ライティングは思考すること

文部科学省 教科書調査官 渡辺 哲司

ライティング、すなわち文章を書くことの第一歩は、見たり、聞いたり、頭の中に思い浮かべたりした言葉を身体(からだ)の外に(文字で)書き出すことです。書き出す先は、小さな紙片、白板・黒板、液晶ディスプレーなど何でも構いません。

そうして言葉を書き出すと、まず、それらの言葉を頭の中に保持するための労力が不要となり、その分生じた余力を、他の知的作業に振り向けることができます。次いで、書き出した自分の言葉を、一種の他者目線で、他者の言葉であるかのように見ることができます。

さらに、言葉を外に書き出したまさにその瞬間から、ほぼ自動的に二つのよい効果が生じるようです。すなわち①ある程度ちゃんと言葉を選ぶようになる②ヒューリスティックな思考が進む――の二つです。

①の「ある程度ちゃんと言葉を選ぶようになる」というのは、現在の自分とは別の人が読んでも分かるように、適切な言葉を正しく並べ、つなげようとすること。それは、プライベートな日記を書く場面でさえ起こる、考えてみればちょっと不思議な現象です。

②の「ヒューリスティックな思考が進む」というのは、要するに、自分なりに「ああそうか」と気付いたり分かったりすること。ヒューリスティック(heuristic)はよく「発見的」などと翻訳されますが、「科学的発見」というときの発見とはニュアンスがやや異なります。

ちなみに、書くことに②のような効果があることを、なんと2千年以上も前の古代ギリシャの人たち(アカデミックライティングの元である弁論術をつくり上げた人々)は認識していたといいます。それゆえ、まだ紙もペンもなく、書くことが極めて困難であった時代にも、彼らは書くことを奨励していたそうです。

さて、以上二つの効果を見て、それらは考える(思考する)ことそのものだと感じた人も多いでしょう。私も同感です。

それに、どちらも頭の中にある言葉を外に書き出すことによって、ほぼ自動的に始まる一連の手続きです。よって「書くことは、ほぼイコール考えること」といっても過言ではないでしょう。

書くことも考えることも手続き―具体的行為の連続体、繰り返しの実行を通じて正確さも効率も高まっていくもの―であるならば、スポーツの動作と同じように、反復練習によって必ずうまくなります。

今回も、練習こそ肝要であることを強調した締めくくりとなりました。