教師集団の学びとリフレクション(4)見え方の転換

東京学芸大学教職大学院准教授 渡辺 貴裕

前回、本人にとって「自然」な行動を導くような、教師が持つ全体的な体制・構えのことを、「ゲシュタルト」と呼ぶことを述べました。そして、それを変えようとする際には、教師が自分の行動にどんなゲシュタルトが働いているかに意識的になり、別の見え方・意味付けの仕方の存在に気付くことが必要になると指摘しました。

ゲシュタルトの概念の元になっているのは、ゲシュタルト心理学です。そこでしばしば用いられる例に、多義図形があります。見方によって、「ウサギ」と「アヒル」のように、別のものに見える図形です。

例えば、ある図形が「ウサギ」に見えるとき、それは最初から「ウサギ」という意味を持つかたまりとして目に飛び込んできます。もちろん、部分に目を向ければ、そこが「耳」に見えたりしますが、それが「耳」に見えるときには、すでに全体が「ウサギ」に見えています。「耳」「目」「口」が独立していてそれを足して「ウサギ」になるわけではありません。

また、「(ウサギの)耳」と「(アヒルの)くちばし」が同時に見えることもありません。これが、ゲシュタルト心理学が重視する、全体性を持ったまとまりという発想です。

教師が授業においてさまざまな事象に触れる際にも、同じことが起きていると考えられます。ある場面に遭遇するとき、それらは最初から、ある意味を持ったかたまりとして教師に認識されます。「自分がすぐに手助けをしなければならない状況」、「集団の秩序を乱す行為」といったものです。それが教師の次の行動を導きます。

これは、その教師の全体的な構え(ゲシュタルト)の下で生じていることであり、誰かが教師の行動の一部分だけを取り出して「あそこではこう対応したほうがよい」とアドバイスしたとしても、無力です。

では何が必要なのでしょうか。それは、教師が自分の見え方に意識的になり、さらには別の捉え方ができるようになることです。

例えば、「今まで自分は子供が○○したとき、当たり前のようにそこで手助けしていたけれど、それは別の観点から見ると、むしろ子供の活動を邪魔することになっていたんだな」といった気付きです。

多義図形に関して見え方が変わって別の意味が現れるのと同じように、教師の行動が変容するためには、教室の状況や自分の行動への見え方が変わることが必要です。

だからこそ、リフレクションは、単なる観点別のチェックではなく、見え方の転換につながるものでなければならないし、また、それを引き起こす方法が必要になるわけです。