教師集団の学びとリフレクション(6)教師側と学習者側とのずれ

東京学芸大学教職大学院准教授 渡辺 貴裕

前回は、リフレクションが進むプロセスを表したコルトハーヘンのALACTモデルを元に、「本質的な諸相への気づき」の段階の必要性を述べました。

けれども、このように問題を掘り下げるのは、なかなか困難なものです。どうしても、人は自分がすでに持っている枠組みでもって問題を捉え、評価してしまうからです。どうすればこれが行いやすくなるのでしょうか。

そのためのヒントも、前回紹介した例の中に表れています。その中学校国語科の先生は、自分ではうまくいくと思っていた課題が必ずしも生徒に受け入れられなかったとき、生徒に「どうして参加しなかったの?」と尋ねて、生徒が課題に対してどのように感じたり考えたりしていたのか聞き出していました。

そして、意味のある文章を書かせたい/書きたいという点ではどうやら教師の側も生徒の側も一致していたにもかかわらず、課題の受け止め方にはずれがあった(教師の側は、立場さえ設定しておけば作文が書きやすくなると考え、生徒の側は、立場だけ与えられても相手が不明だと書きにくいと考えていた)ことが明らかになり、このずれが、問題の掘り下げのための手掛かりになっていました。

これは、コルトハーヘンが、第2局面「行為の振り返り」から第3局面「本質的な諸相への気づき」に進むための手掛かりとして挙げていたものと符合します。コルトハーヘンは、教師と学習者それぞれの側の「何を望んでいたか」「何を行ったか」「何を考えていたか」「何を感じていたか」を浮かび上がらせ、そこに生じるずれ(教師と学習者の間での、あるいは、行ったことと望んでいたこととの間などでの)を意識することが、「本質的な諸相への気づき」に進む手掛かりになるとしました。

授業の振り返りにおいて、教師の振る舞いだけでなく子供の学びに注目することの必要性はこれまでにも言われてきており、コルトハーヘンの発想はそれと重なるものです。またこれは、教師が互いに授業を見合って検討会をすることの意義を裏打ちするものでもあります。

先ほどの例では、教師は自分で生徒に尋ねて生徒側の視点に気付きましたが、それができる場合ばかりとは限りません。複数名で授業を見、生徒のふとした発言や表情に表れる彼らの思考や感情をキャッチし、それを出し合うことによって、より良いリフレクションを行っていくわけです。

もっとも、集団で授業のリフレクションを行う、つまり、授業検討会を行う場合には、個人で行うのとは異なる難しさもあります。

それでは、リフレクションの促進のためにはどのように検討会をデザインすればよいのでしょうか。次回からそのテーマを扱います。