教師集団の学びとリフレクション(11)子供の姿を語るスタンス

東京学芸大学教職大学院准教授 渡辺 貴裕

授業検討会では、「子供の学びの姿を語りましょう」ということがよく言われます。連載第6回でも触れたように、学習者側に目を向けることは、より深いリフレクションを行うための鍵となります。しかし、子供の振る舞いについて述べてさえいればそれでよいのでしょうか。そこにスタンスの違いなどはないのでしょうか。

以前、ある小学校の公開研究発表会で興味深い出来事がありました。

3年生の理科の授業で、磁石に付けていたくぎは磁石になったと言えるのか、調べる方法をグループごとに考える、という活動を行っていました。この授業の協議会では、普段のその学校のやり方を参観者らにも体験してもらえるよう、「子供の学びの姿を出し合うことから始める」ことが確認され、小グループで話し合いが行われました。その中で例えば、「5人班での話し合いは難しそうだった。3人くらいがよかったのでは?」といった話が出ていました。あるいは、この授業では、「絵カード」という、ミニホワイトボードに引っ付くようにした、棒磁石やくぎなどのペープサートが、グループ内で実験方法を説明するための道具として用いられていたのですが、それに関して、「『絵カード』を上手に操作して説明することができていた。非言語ツールが効果的だった」といった話も出ていました。

「5人班での話し合いは難しそうだった」も「『絵カード』を上手に操作して説明することができていた」も、確かに子供の学びの姿について述べてはいます。けれども、子供の学びの姿を語るとはこういうことなのでしょうか。

一方、この学校の先生で、この授業の事前検討会にも参加して模擬授業の子供役としてこの活動を体験していた先生に、「今日の授業いかがでしたか?」と尋ねてみると、次のような答えが返ってきました。「私たちのときは、『絵カード』を表現のためのツールとして用いていたのですが、今日の子供たちの様子を見ると、操作することで考える、思考のツールにもなっていて、むしろそっちのほうが大きかったのかなという気になりました」。

もちろん、授業内容をよく知っているため見えるものがあるという面はあるでしょう。けれどもそれにとどまらず、この先生による子供の姿の語り方には、先ほど紹介した外部参加者らのものとは、スタンスの違いがあるように思えます。外部参観者らのものは、学習活動を(あるべき姿と照らし合わせながら)外から眺めるような、いわば傍観者的なスタンスでした。一方、この先生のものは、自身も学び手としての感覚を働かせながら、内側から子供の姿を捉えるようなスタンスと言えるでしょう。次回は、こうしたスタンスの意義と役立て方について扱います。