教師集団の学びとリフレクション(14)授業の背後にあるストーリー

東京学芸大学教職大学院准教授 渡辺 貴裕

授業検討会は、基本的に1単位時間の授業を対象に行われます。しかし、当然ながら、子供や教師はその時間のみ切り離された形で学習を行っているわけではありません。これまでの授業(や授業外)からなる、より大きな流れの中で、その授業に臨んでいます。

本連載では、検討会において、授業中に起きた出来事を大切にして振り返りを進めることの重要性を述べてきました。けれども、それは、その学級の子供たちと教師のこれまでのストーリーに目を向けなくてよいということではありません。むしろ逆で、そうしたストーリーと結び付けながら授業中の出来事を捉えていくことが必要です。

公開研究発表会で見かけた例を2つ紹介します。

1つは、小学校の図工の授業。子供たちがグループで、大きな粘土の塊を使って「夢の遊び場」のデザインを考えるという活動を行っていました。検討会では、冒頭、授業者から、この造形活動に入る前に数時間かけて、自分たちの遊び場や遊び方の変遷をイメージマップや写真などで振り返る活動を行ってきたことが話されました。

そうした経緯を頭に置いて眺めると、子供たちの、あえて人型を不安定に置く置き方や「ここツルツルにしたから滑ると思う」といったつぶやきが、「自分の遊びの体験やそこでの身体感覚と結び付いているのかな」というように見えてきます。

もう1つは、小学校の算数、統計分野の学習。安全教育と結び付けて展開されており、自分たちの学級のけがの発生データを基に各グループが作成したグラフを比較し合う授業でした。ここでも検討会冒頭で、授業者から、この授業に至るまでに、子供たちが保健室からデータを受け取って、さまざまな分析をしてけがを減らす方法について考えてきたことが紹介されました。それを頭に置くと、「打撲」という用語を巡るやりとりや表記の不統一といった一見算数の授業らしくない部分についても、意味があるものとして見えてきました。

けれども、こうした固有の流れをもって行われてきているにもかかわらず、検討会では、「○○科の目標では○○となっていて……」、「今日の授業の○○は『○○』にはなっていなくて……」といった発言が出がちです。参観者が、自分が持っている「○○では○○を教えなければならない」という枠組みでもってその1時間の授業のみを切り取って論評してしまうのです。残念ながら、これらの検討会のときもそうしたことが起こっていました。

授業を見るときに、直接目に見えないものに思いをはせ、それと結び付けながら目に見えるものを捉えること。検討会でリフレクションを深める上で、そうした学びの捉え方が重要です。