教師集団の学びとリフレクション(15)プロジェクトとしての授業検討会

東京学芸大学教職大学院准教授 渡辺 貴裕

授業検討会のときに、毎回、「明日の授業から使ってみようと思うこと」を最後に全員に出させて終わるようなやり方があります。やりっ放しではなく、今後に役立たせる意識で検討会に臨んでほしい、という意図のもと行われているようです。

もちろん、各自に得るものがあるように、という思いは分かります。けれども、そもそも授業の検討会は、「使ってみようと思うこと」が毎回得られるようなものなのでしょうか。

確かに、授業を見ていて、「これ、自分も使ってみたいな」「取り入れてみたいな」と思えるやり方に出合うことがあります(私もあります)。しかし、毎回、そうしたものに出合えるわけではないでしょう。そんな中「使ってみようと思うこと」を毎回求めるのは、抽象的な決意表明を述べるだけの形骸化した事態を招きかねません。

「使ってみたい」と思うようなものが出てこなかったとしても、それは決して、検討会で教師らが学んでいない、ということにはなりません。なぜなら、本連載で見てきたように、検討会を通して教師が学べるもの、第一に学ぶべきものは、授業を行う上での考え方や授業に対する見方であるからです。たとえ教師が「明日から○○を役立てようと思います」と述べられなくても、検討会を通して、それまでは気に留めていなかったような子供の振る舞いを意味があるものとして捉えられるようになったり、自分が単元を構想したり授業を行ったりする上で今後挑戦し考えたい問いが得られたりしたならば、十分に意味があることです。

そうした学びは、毎回「これができるようになった」と言語化できるようなものでは必ずしもありません。参加者が手応えを得られるようにと努めることも大事ですが、一方、(特に校内での)授業検討会を、単発ではなく複数回繰り返すことで教師集団が授業について学び合っていくプロジェクトとして捉えることが重要です。

なお、本連載で述べてきたような、参加者が自身の学び手感覚を働かせながら、授業で感じたことやキャッチしたことを出し合い、発言のつながりを生み出してリフレクションを深めていくような話し合いは、最初からうまく行えるわけではありません。旧来の検討会スタイルになじんできた教師は、つい、起きたことや感じたことではなく、知っていること―「○○の授業にはこんなやり方がある」とか「○○では○○を教えなくてはならない」などといった―を話してしまうのです。よりよい話し合いを行えるようになること自体にも、繰り返しの練習が必要です。