教師集団の学びとリフレクション(17)見ることで生じる問い直し

東京学芸大学教職大学院准教授 渡辺 貴裕

本連載では、自分が行った実践や校内授業研究などで出合った実践から気付きを引き出す、つまりリフレクションを深めるやり方とその意義について述べてきました。もちろん、こうした日常的な学びの機会を役立てることは重要です。けれども、一方で、それまで自分が慣れ親しんできたものとは全く違ったタイプの実践、見るだけで自分のこれまでの授業観や子供観が揺さぶられてしまうような実践に出合う機会を持つことも大切です。

自分が行う実践は、新たな挑戦を行っているつもりでも、どうしてもある一定の幅の中に収まってしまいがちですし、同じ学校や同じ地区では、似たタイプの実践が固まりやすいもの。そうした中、子供の姿を手掛かりにして自分の枠組みを問い直すことを心掛けても、問い直しのスケール自体が小さくなってしまう恐れがあります。

そんなときに、とがった取り組みを行っている実践を見て、「学校の中でこんなことも可能なのか」「子供が自分たちでここまでできるのか」などと強いインパクトを受ける経験をすることは、問い直しをいや応なく引き起こし、そのスケールも大きなものにします。

これは、必ずしも、素晴らしい実践を見て自分もそれの真似をする、といった話ではありません。例えば、寝たり漫画を読んだりといった授業中の生徒の「逸脱行動」が許せず、それをしつこく注意することで生徒との関係が悪化し授業も進まず悪循環に陥っていた教師が、そうした行為がありながらもそれが緩やかに容認されていて逆に生徒らが落ち着いて授業に取り組めているような授業の様子を目にして、自分の中にあった「逸脱行動を少しでも認めれば全てが崩壊する」という恐れに気付き、少しずつ自分の対応も変わっていく、といったこともあります。

このように他の実践を見るときに気を付けなければならないのは、「使える/使えないという視点で見ない」ということです。こうした視点で見る限り、自分の授業観や子供観は温存され、せっかくの問い直しの機会を生かせないことになります。

「見る」ことによっていや応なくリフレクションが引き起こされるという発想は、校内で、例えば若手教師の授業に関する力量形成を支援するといった場面にも応用できます。その教師の授業を元に振り返りの話し合いをするのは重要です。けれども、一方で、その教師に、同じ子供たちが別の教師の下では全く違った様子を示す(生き生きと話し合ったりスッと集中したり)のを見てもらって、それを元に対話することが、その教師が授業観や子供観を変えていく近道になる可能性もあるのです。