【校長としての心構え(33)】人材育成の大切さ⑤

元東京都立西高等学校長 石井 杉生
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経験を超えるもの

私はこれまで、「失敗を責めない文化」と「個人が目立つ文化」を醸成することによって、人材を育成しようとしてきた。これら2つの文化の根底にあるのは、経験することによる成長への期待と言ってよいであろう。

いろいろなことを経験すればそれだけ学ぶことが多く、成長していくだろうという考えである。しかし、社会人に対し「とにかく経験すればよい」という人材育成策だけでは心もとない。そこで、経験とは別に何か人材育成の視点がないだろうかと考えた。

決定に責任を持つ文化

赴任当時、「このことを誰が決めたの?」と尋ねると、よく「学年会で決めた」とか「委員会で決めた」という答えが返ってきた。確かに、学校では多くのことが会議によって決定されている。決めた直後であれば、学年会や委員会に誰がいるかがすぐに分かるので、その人たちに決定した理由を聞くことができる。

しかし、数年たっていると、もはや誰が決めたのかも、なぜ決めたのかも分からなくなってしまう。時には、決めた人がすでにいなくなっていることもある。ここに学校の無責任体質の根本があるように感じた。

そこで、学年会での決定は学年主任が、委員会での決定は委員長が、それぞれ責任を持つことを意識してもらおうと考えた。同時に、この「責任を持つ」ということが、人を育てる要素になるのではないかと考えた。「やらせてみる=経験」から「決める=責任を負う」へのバージョンアップと考えてもよい。「決定に責任を持つ文化」の醸成である。

責任を負うことの大切さ

責任を明確にすることによって気付いたことは、教員はあまり責任を負うということに慣れていないということである。「これは〇〇さんの責任ですね」と言うと、必要以上に緊張したり警戒したりする。教員には真面目で努力家が多いので、そんなに緊張しなくとも十分にその責に耐え得るし、それだけの仕事ができる力量も備えている。

それなのに、可能な限り責任を負うことを避けようとする。起案決済の押印にも抵抗があるらしいが、明らかに慣れていないためであろう。では、どうしたら「責任を取る」という行為に慣れることができるのだろうか。

(つづく)

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