【クオリティ・スクールを目指す(187)】折口信夫の小学校校歌

教育創造研究センター所長 髙階 玲治
この連載の一覧

一日の生活を健やかに

NHKの朝の連続テレビ小説「エール」の放送で古関裕而作曲の校歌が話題になるが、折口信夫の作詞の校歌を発見し、珍しかった。

折口信夫と言えば、名前は知っていても、近寄りがたい国文学や民俗学者という印象が強いであろう。釈迢空の号を持つ歌人、詩人でもある。

日経新聞の日曜版「美の粋」で、コロナ禍の最中、3月末から3回、「落日と浄土『死者の書』の謎を探る」が掲載された。『死者の書』は、古代の死生観を描いたとされる難解だが魅力のある折口信夫の小説である。

そのような深遠な小説を描いた折口信夫が千葉県市川市立八幡小学校の校歌を書いた。それが今も歌われている。

さぞかし難解で流麗な言葉で歌詞が書かれていると思ったが、そうではなかった。紙幅の都合で部分しか紹介できないが、第一節の冒頭は次である。「吾らが上の 青空は 鳥鳴く鳥鳴く 今日も努めむ わが友よ」。

第二節は、「吾らが学ぶ教室に 昼の日 隈く照りわたり 塵一つなきうるわしく」。

第三節は、「吾等の窓にともし燈の 明るき夜来ぬ 省みて今日はよかりしひと日かな」。

つまり、第一節は朝の学業のスタート、第二節は昼の学び、そして第三節は夜の1日の反省、である。校歌で1日をこのように歌い上げているのは極めて珍しい。

折口信夫は子供の学校生活を思い、1日を健やかに学び育つことを願ってのことであろう。のどかな印象がある。多くの校歌は、学校の周囲の自然などを巧みに取り入れて荘厳な雰囲気を生み出すのが典型であるが、この校歌にはそれがない。第一節に「吾等もいつか 智慧すぐれ八幡の八幡の藪の如 才量りなき身とならん」とあるだけである。

実は、今でこそ市の中心地だが、当時は周囲に樹木が生い茂り迷いこんだら出てこれないとされ「八幡のやぶ知らず」と言われていた。八幡小学校は創立が1873年(明治6年)で、1953年(昭和28年)の80周年記念に当時の校長が校歌を依頼したという。当時、折口信夫は63歳で、題材を求めて八幡に足を運んだというが、作詞まで2年も費やしている。小学校校歌としての作詞は極めて珍しいであろう。また時を経て、今の子供たちは喜んで歌っているであろうか。なお、作曲は信時潔で全国的に校歌、社歌など千曲以上も作曲している。

実は市川市には教委の編集による『校歌は生きている』(1987年)がある。校歌と共に各小学校の成り立ちや時代に関わるエピソードを描いたものである。学校の創立が古いだけに例えば、土岐善麿、大木惇夫、白鳥省吾、西条八十、阪田寛夫、などの名がみえる。自校の校歌を改めて見直してみると興味深い発見があるのでは、と考える。

この連載の一覧
関連記事