【クオリティ・スクールを目指す(192)】「はげみ」でなくなった通知表

教育創造研究センター所長 髙階 玲治
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形式的処理で理解不徹底

今年度の学校の指導計画はコロナの影響で修正・削除など、大幅な変更を強いられたであろう。通知表はどう変わったか。

小学校は学習指導要領の改訂によって評価観点が従来の4観点から3観点である「知識・技能」「思考力・判断力・表現力」「主体的に学習に取り組む態度」に変更された。そのため、通知表の大幅な改訂が行われている。

A市の小学校の場合、一部教科を除き、各教科は3観点で「よくできる」「できる」「もう少し」の3段階で評価している。

だが、3観点は教育的評価としての専門的事項であって、そのままでは保護者には理解できないと考え文章化されている。例えば、国語の「知識・技能」は「日常生活に必要な国語の知識や技能を身に付けるとともに、日本の言語文化に親しんだり理解したりしている」である。それが1年生から6年生まで同じ文章である。

しかし、この文章を読んで、例えば自分の子供が国語について「読解力は?」「聞く力は?」「話す力は?」を想定することは無理である。あまりにも専門的・形式的である。英語の場合も「読む」「聞く」「話す」「書く」のそれぞれが重視されるが、それがない。

ところが、B市の小学校の通知表を見てさらにびっくりした。1年生から3観点の「知識・技能」「思考力・判断力・表現力」「主体的に学習に取り組む態度」の評価項目のみで全教科が示されていたのである。

かなり以前から3学期の通知表から指導要録へ転記する機械的操作が行われてきた。公的な在学証明と学習証明である指導要録と、子供を励まし成長への道標となる通知表は異なる性格のものだが、それが同一視され、多忙化軽減を理由に機械的転記が許されている。

その後、文科省もまた教師の勤務負担軽減を理由に、統合型校務支援の一環として、指導要録と通知表の形式共通化を許容している。その影響であろうか。

つまり、通知表は子供にとって大切な「はげみ」や「あゆみ」ではなくなった。形式的に処置する対象でしかなくなった。以前は子供にも理解可能な言葉が並び、通知表によって来学期は頑張ろうと思わせるものがあった。しかし、今や通知表は保護者でさえ理解ができず、○を数えるだけになってしまっているのではないか。

しかし、全ての学校が形式的処理で通知表を作成しているわけではないであろう。C県の教育事務所は、通知表の形式は各学校の自由であるとして、「指導要録と一貫性を持たせることは大切だが、そのまま転用することは適当でない」とする1991年(平成3)の文部省(当時)の説明を引用し各学校に通知している。

今年度はコロナ禍で余裕がなかったが、来年度は改めて通知表を見直したいものである。

 


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