現行の学習指導要領は、40年ぶりに大幅に学習内容を増やした。教科書は厚くなり、ランドセルは重くなった。学習内容増加で学力向上が期待されるが、その半面、子どもや教師の負担増に伴う「負の影響」が懸念された。校長会では「負の影響を」軽減するための対策を講じ、各学校に働きかけてきた。

各地でカウンセリングの「専門的知識・技能」を修得した教師の育成と全教師にカウンセリングの心を身につけることの両側面が進められた。 生徒指導でも、自己指導力や自己実現への指導・援助が強調されるようになった。狭義の教育相談から全教育活動を通してのカウンセリング・マインドを生かした教育相談の考え方が強くなる。

相手が子どもであるか、保護者であるか、あるいは同僚の教師であるかにかかわりなく、その人と接していると

ユース・ガーディアンでウェブアンケートをした結果、わが子がいじめを受けたもしくは受けているのではないかと思ったとき、保護者のおよそ8割が学級担任に相談をすると回答している。しかし、私が1人で対応する相談案件は、常時50人を超えている。

次期学習指導要領の「論点整理」が出され、これからの教育への展望がやや見えてきたが、その中で教科等については視点のみである。ただ、視点のみであっても、例えば特別活動は、「論点整理のイメージ案」よりも具体的な記述が増加している。

「公園デビュー」世代が思春期のころ、テレビドラマ「金八先生」が放映されていた。テレビの金八先生は、いつも子どもの味方だった。その後「新人類世代」と呼ばれ、幼児期の「公園デビュー」の時代を経て、小学生の保護者になった。やがて、2000年代に入り、各地の学校現場で保護者対応の難しさが話題になるようになってきたのである。

「アクティブ・ラーニングは、とっくに行われている」という声をよく聞く。確かに、前回指摘したように、現行の学習指導要領に基づく教育課程では、総則や総合的な学習の時間をはじめとして、アクティブ・ラーニングの趣旨に合致する指導を行うことになっている。問題は、その指導が実際に行われ、かつ充実したものになっているかということである。

昨年度、保護者等から解決困難な理不尽なクレームや要求を受けた小学校は約37%。(東京都公立小学校長会調査)。クレームの71%は保護者からである。保護者からのクレームに対応するためには、相手を知らなければいけない。まず現代の小・中学生保護者世代の一断面を探る。

アクティブ・ラーニングをどうとらえるか。「課題の発見・解決に向けて主体的・協働的に学ぶ学習」や「能動的な学習」などをもとに関連する事項を学習指導要領から拾ってみる。

函館大谷短期大学名誉教授 保坂武道 ◇普及はしているが◇  今でこそ学校教育相談を知らない人はいない。その深浅はあっても、教師ならカウンセリングのマインドのもと「いつでも、どこでも、誰にでも」実施している。書物も数多く出版され、それほどまでに普及している学校教育相談だが、まったく問題がないかといえば、そうは言いきれない。  それどころか、学校教育相談の対象が個人から集団へ。方法も、受け身から能動へ。機能としても、問題の解決から開発的なものへ。学校の抱え込みから各関係機関との連携へという具合に変化し、新たな課題が山積している。スクールカウンセラーの配置など、かつてなかった動きが急速に進んでいる。  この学校教育相談の歴史は、私の教員生活とも連動する。私が教師になったのは昭和37年である。以来、今日まで50年以上、生徒指導、教育相談の歴史とともに歩んで来た。  この連載では、自らの体験から、学校教育相談の歩みと展開、そのノウハウを、できるだけコンパクトにまとめて提言したい。これは、私のライフワークでもある。 ◇昭和20年代導入期◇  「逝ゆいて還らぬ教え児よ」。教育実践における戦争責任。呆然として敗戦を迎えた大多数の教師が抱いた共通の感情であった。そうした中で教師らは、軍国主義の苦い体験をかみしめた。その中から、新たな歩みを模索し始めた。  とはいっても、教師も人の子。現実をどう受け止め、人間としてどう生きていくか。そのことの方が先決だったし、やりきれないものが教師一人ひとりの胸に去来したはずである。  その意味でも、昭和22年施行の日本国憲法と教育基本法は、まさに画期的だった。「軍国主義の教育」から脱し、「平和と真理を希求する人間の育成」が教育の目的とされた。このことの意味は大きかった。  こうした民主化に伴う動きとともに、カリュキュラムや地域の教育が改められ、その中に、アメリカから紹介された「ガイダンス理論」の生徒指導が注目された。  文部省は「ガイダンス的生徒指導」の普及に努め、生徒指導とカウンセリングが同じく出発したのである。目的は「自己指導力の育成」である。文部省としては、カウンセリングを中心に開発を推進したかったようだが、現実には、生徒指導の方が教育現場では歓迎された経緯がある。 ◇昭和30年代から◇  昭和30年代になると、全教師による教育相談が必要であるとしたが、生徒指導のうちの「個別指導」という位置付けであった。  生徒指導は、昭和20年代から30年代にかけて、無着成恭の「山びこ学校」に象徴される、生活綴り方的生活指導やマカレンコの集団主義的生活指導も提唱された。戦後の新しい教育運動の息吹きが始まったのだ。  これと同時に、昭和26年に日本に紹介されたロジャーズの「来談者中心療法」が、一種のカウンセリングブームを起こす大きなきっかけになった。私は、学んだ大学の教育心理講座で、友田不二男教授から直接、ロジャーズ理論の洗礼を受けたのである。それは、ほかの講義とはまったく異質だった。じっとして何も言わずの講義で、「受容、共感、傾聴」の原理を叩きこまれた。その一場面。「講義が始まっても友田は一言も話さない。じっと黙り続けている」「学生からは奇声、罵声、悲鳴、授業料返せ、いいかげんにしろ」の声。それでも友田教授は沈黙。こんな講義が1年も続くのだから。  それによって私は、教育相談の厳しさを体験したのである。つまり、耐えること。相手の反応をじっと待つこと。主体性である。全ての学生がそれを持っていることの気付きを待つ。学習指導でいうと、勉強したくない子に、いくら勉強しろと言っても、効果は上がらない。本人にやる気がないのだから。言い換えれば「自己指導力」である。試験でこれを書くと「優」。他は不合格という厳しさ。単位を取れない学生も多く、それは、厳しかった。  これがカウンセリングの講義で、画期的なものであった。お粗末なことに、これをまねて、教育現場で、さまざまな教師が語らずの授業を展開し、学級崩壊に至ったケースが各地で生じたことが報告されている。つまり、スキルだけまねるとこういうことになるという見本であった。  しかし、ロジャーズブーム、第一次カウンセリングブームが全国に巻き起ったことを、ぜひここで、実体験に基づいて述べておきたい。  一方では、このころ、児童相談所や公立の教育研究所が各地に設置され、学校に導入されたカウンセリングは、こうした専門機関の影響を強く受けたものであった。特定の教師が「問題を持つ子」を対象に個人面接を実施していた。それは、特別に選ばれたエリートという感じで、一般の教師には親しみやすいものではなかった。  アレルギーも生じていた。特別な教師(指導主事)とカウンセリングに対して。

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