学校の管理・運営は、校長の指導・責任の下に適切に行われているが、時には、児童生徒の個人情報の漏えいや公金の扱いに関する事件や不祥事が発生する。校長として、学校での事件や不祥事を未然に防ぎ、適切な管理・運営を行うために、いま一度、その基本となる「学校管理規則」や「校内規程」について確認と見直しをしておくべきである。

東京都立光明学園統括校長 田村 康二朗

まず、現在の学校における医療的ケアに至るまでの大まかな流れを述べたい。
■養護学校創始の時代
1932年、日本で最初の肢体不自由教育を行う学校が東京都港区南麻布に開校した。東京都立光明学園の前身である「東京市立光明学校」だ。その後、世田谷区松原に移転した。戦前、戦時下の疎開、戦後と激動の時代の中で、全国唯一の肢体不自由公立校として、教育を蓄積した。 1957年に養護学校に移行し、専門教育を継続した。……

石川県退職校長会は昭和41年に結成され、現在、会員は小・中・高・特別支援学校の退職校長、約1670人で組織しています。県内の郡市単位に11の支部があり、「会員相互の親睦と研修および石川県教育の振興に寄与すること」を目的とし、研修会やボランティア活動など、地域に根ざした活動を推進しています。

各教員が経営参画意識を持ち、組織的に活動することが、チーム学校として大切である。さらに、個々の教員の力量をつけ、学級経営力等を高めることも重要である。まさに車の両輪である。それは、教員に学校への参画意識を持たせるのと同様に、児童も学級への参画意識が必要だからである。そのためには、1単位時間の授業観察とともに、日々の校内巡視の際の授業観察も大切にしたい。1単位時間の授業観察は、以前記したように自己申告の際に生かしていきたい。日々の授業観察では、その時点の学級経営の様子や授業の内容と質等に重きを置いてみる。

本校、麹中メソッドの2つ目の柱は「社会へのロールモデルを見つけさせる」である。そのための環境づくりについて示したい。

函館大谷短期大学名誉教授 保坂武道 ◇普及はしているが◇  今でこそ学校教育相談を知らない人はいない。その深浅はあっても、教師ならカウンセリングのマインドのもと「いつでも、どこでも、誰にでも」実施している。書物も数多く出版され、それほどまでに普及している学校教育相談だが、まったく問題がないかといえば、そうは言いきれない。  それどころか、学校教育相談の対象が個人から集団へ。方法も、受け身から能動へ。機能としても、問題の解決から開発的なものへ。学校の抱え込みから各関係機関との連携へという具合に変化し、新たな課題が山積している。スクールカウンセラーの配置など、かつてなかった動きが急速に進んでいる。  この学校教育相談の歴史は、私の教員生活とも連動する。私が教師になったのは昭和37年である。以来、今日まで50年以上、生徒指導、教育相談の歴史とともに歩んで来た。  この連載では、自らの体験から、学校教育相談の歩みと展開、そのノウハウを、できるだけコンパクトにまとめて提言したい。これは、私のライフワークでもある。 ◇昭和20年代導入期◇  「逝ゆいて還らぬ教え児よ」。教育実践における戦争責任。呆然として敗戦を迎えた大多数の教師が抱いた共通の感情であった。そうした中で教師らは、軍国主義の苦い体験をかみしめた。その中から、新たな歩みを模索し始めた。  とはいっても、教師も人の子。現実をどう受け止め、人間としてどう生きていくか。そのことの方が先決だったし、やりきれないものが教師一人ひとりの胸に去来したはずである。  その意味でも、昭和22年施行の日本国憲法と教育基本法は、まさに画期的だった。「軍国主義の教育」から脱し、「平和と真理を希求する人間の育成」が教育の目的とされた。このことの意味は大きかった。  こうした民主化に伴う動きとともに、カリュキュラムや地域の教育が改められ、その中に、アメリカから紹介された「ガイダンス理論」の生徒指導が注目された。  文部省は「ガイダンス的生徒指導」の普及に努め、生徒指導とカウンセリングが同じく出発したのである。目的は「自己指導力の育成」である。文部省としては、カウンセリングを中心に開発を推進したかったようだが、現実には、生徒指導の方が教育現場では歓迎された経緯がある。 ◇昭和30年代から◇  昭和30年代になると、全教師による教育相談が必要であるとしたが、生徒指導のうちの「個別指導」という位置付けであった。  生徒指導は、昭和20年代から30年代にかけて、無着成恭の「山びこ学校」に象徴される、生活綴り方的生活指導やマカレンコの集団主義的生活指導も提唱された。戦後の新しい教育運動の息吹きが始まったのだ。  これと同時に、昭和26年に日本に紹介されたロジャーズの「来談者中心療法」が、一種のカウンセリングブームを起こす大きなきっかけになった。私は、学んだ大学の教育心理講座で、友田不二男教授から直接、ロジャーズ理論の洗礼を受けたのである。それは、ほかの講義とはまったく異質だった。じっとして何も言わずの講義で、「受容、共感、傾聴」の原理を叩きこまれた。その一場面。「講義が始まっても友田は一言も話さない。じっと黙り続けている」「学生からは奇声、罵声、悲鳴、授業料返せ、いいかげんにしろ」の声。それでも友田教授は沈黙。こんな講義が1年も続くのだから。  それによって私は、教育相談の厳しさを体験したのである。つまり、耐えること。相手の反応をじっと待つこと。主体性である。全ての学生がそれを持っていることの気付きを待つ。学習指導でいうと、勉強したくない子に、いくら勉強しろと言っても、効果は上がらない。本人にやる気がないのだから。言い換えれば「自己指導力」である。試験でこれを書くと「優」。他は不合格という厳しさ。単位を取れない学生も多く、それは、厳しかった。  これがカウンセリングの講義で、画期的なものであった。お粗末なことに、これをまねて、教育現場で、さまざまな教師が語らずの授業を展開し、学級崩壊に至ったケースが各地で生じたことが報告されている。つまり、スキルだけまねるとこういうことになるという見本であった。  しかし、ロジャーズブーム、第一次カウンセリングブームが全国に巻き起ったことを、ぜひここで、実体験に基づいて述べておきたい。  一方では、このころ、児童相談所や公立の教育研究所が各地に設置され、学校に導入されたカウンセリングは、こうした専門機関の影響を強く受けたものであった。特定の教師が「問題を持つ子」を対象に個人面接を実施していた。それは、特別に選ばれたエリートという感じで、一般の教師には親しみやすいものではなかった。  アレルギーも生じていた。特別な教師(指導主事)とカウンセリングに対して。

「質問タイム」とは、すでに紹介した「ほめ言葉のシャワー」を浴びるその日の主人公に、全員が質問する活動である。

学力や児童生徒の問題行動など、日本の教育を取り巻く問題について研究・調査をしている国研。その所長に、文科省の前生涯学習政策局長の河村潤子氏が就任した。国研の研究・調査を、今後どのように教育現場につなげていくのか、聞いた。

授業研究会を一回やめて、働き方について話し合ってみよう。どんなことが出てくるでしょう。業務改善の視点で、授業研究会について話し合ってみましょう。貴校の授業研究会は形骸化していませんか。全員が活発に話し合う研究会になっているでしょうか。

カリキュラム・マネジメントの第二の側面について述べる。カリキュラム・マネジメントの目的は、学習指導要領改訂期においては、教育課程の全面的な見直しであり、学校改革といってもよいだろう。「論点整理」が示したカリキュラム・マネジメントの(三つの側面)の第二では「教育内容の質の向上に向けて、子どもたちの姿や地域の現状に関する調査や各種データ等に基づき、教育課程を編成し、実施し、評価し、改善を図る一連のPDCAサイクルを確立すること」を求めている。すなわち、教育の質の向上・学校改革につながる実効のあるカリキュラム・マネジメントの確立が問われる。

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