アクティブ・ラーニングは、次期学習指導要領での柱の1つになると、注目を集めている。それでは、アクティブ・ラーニングとは何で、これを実現するにあたって教師はどんな役割を果たすべきなのだろうか。識者に聞いた。
子どもからの発信を受け止める
福島県郡山市立芳山小学校の森山道明校長に聞いた――。
初等教育でのアクティブ・ラーニングは、教師が与えるのではなく、子どもたちが気付いたものを活用し、学んでいく学習法といえる。子どもたちの気付きをどう活用するかだ。子どもたちから出てきたものを、子どもたちに戻す。やりとりを繰り返す中で、自然と学習が身に付いていく。
それでは、授業を改善していくにはどうすればいいのか。教師からの一方的な視点ではなく、子どもの視線に立って、子どもの姿をしっかり見とる目が大切だ。それが「わかる授業」につながっていく。
本校では、教師が互いに授業を見合って意見を交換する授業研究会を、年間50回以上行っている。そこでは、「あの発言で子どもの目が輝いた」といった瞬間が指摘される。教師が自分で今日の授業はよかったと思っていても、独りよがりでは意味がない。「子どもがこれこれこういう姿になったからよかった」とならなければならない。
授業研究では、そうした目を養っていく。立ち止まらずにスルーしていっては、教師が育たない。他の教師からの指摘で気付く点が多い。ときには、子どもから出てきたものを子どもに返す場合もある。いろいろできる教師になっていきたい。せっかくの子どもの発言を吸い上げず、切ってしまったら、その先はないのだから。弾力的な展開の中で、教師は育っていく。
授業は、教師が言いたいことを言って終わりではない。子どもがどれくらい理解したのかが重要。子ども同士の言葉を聞くなどして、子どもに落とし込めたかを確認するとよい。子どもの表現を見取り、分かっていく必要がある。「こうでしょ!」と教え込むのではない。
授業の中で予想外の場面になったときこそが、一番のチャンス。しっかり見取って、それを組み込んでいく。そこで子どもが育っていくのがいい授業といえる。予想外のことがよりハイレベルだと、教師はよりいっそうの力量を持っていなければならない。子どもの育ちと自分が高まっていく両輪が必要だ。共に育っていくのである。それには予想外の瞬間を見極める力量が必要となる。
子どもは受容されるとうれしい。正解だけでなく、間違いも受容することが大切。「その意見があったからこそ、こういうふうな考え方ができたよね」と展開していかれれば、子どもたちは間違いを気にせずに、発言できるようになる。それで学級全体が高まっていく。
喜びの味わいが積み重なっていくと、学級集団ができあがっていく。共に学ぶ楽しさの積み重ねこそが、学級づくりだ。
それにはまず、全ての子どもの丸ごとのありようをすくい上げていく視点が大事。ただ、そうすると圧倒的に時間が足りない。
そこで、学級全体をもう一歩高るために、ペア学習やグループ学習も取り入れる。それは同じ考えだね、この考えは違うねといったふうに、集団の中で子ども自身が自己修正していく。複数でのやりとりは、子ども同士の作用が働くので効率がいい。ただし、質の高まりがないと次のステップへは踏み出せない。
切り捨てではなく、集団の中でそれぞれを尊重しながら、もう一度整理できてくると、学習の効率が高くなる。無駄なものを切り捨てるのではなく、納得を伴った再整理が必要になってくる。
教師にはそれぞれ差はあるが、皆、日々成長しつづけている。ありのままの自分を受け入れ、成長していく。育っても、まだまだと向上心を持つのが大事だ。子ども集団が育っていく学びが展開すると、教師自身も向上心が持てる。
本校には、教師同士が言いたいことが言える風土がある。いいところを認め合える。協調性や意欲があると子どもにとってもプラスだ。
子どもを見る目が育っていくと、5年後、10年後とロングスパンで子どもが見られる。小学校段階の学びは先行投資ともいえる。結果を求めすぎると、よいものが出てこない。今のこの子に何が必要なのかを、ロングスパンで見ることが大事。長い目で見守っていきたい。