モンゴルで実見の生活映す 『スーホの白い馬』で講演

格の高い絵本を生み出した義父・末吉を語る赤羽茂乃さん
格の高い絵本を生み出した義父・末吉を語る赤羽茂乃さん

赤羽茂乃さんが7月16日、目白大学児童教育学科主催の公開講座で講演した。テーマは「『スーホの白い馬』の草原を渡って~絵本画家・赤羽末吉の人生が教えてくれること」。茂乃さんは、末吉の三男・研三さんと結婚。義父亡き後、夫とともに、遺された約7千点の原画やスケッチ、資料などを整理。義父の人生や作品について研究を続けている。現在、伝記を執筆中だ。講演の合間には『スーホの白い馬』などが同学科の学生らによって朗読された。各地で読み聞かせの研修などを行っている見澤淑恵さんも、学生とのかけあいで朗読。講演では、現場での実見と確かな観察眼に基づき、その地の生活に根ざして生まれた深い味わいの作品について語られた。講演の内容は――。

義父は明治43年、神田の生まれ。江戸っ子のユーモアがあった。51歳で初めて絵本をかいた。以来、観察眼があり、感性が鋭く、とても品格のある作品を80冊以上も生み出した。

後の『スーホの白い馬』につらなる経験は中国東北部、ラストエンペラー溥儀の時代の満州への移住。22歳だった。運送業で働き、あるとき新品を中古に見せて税金を安く通せとの指示をうまくやりとげ、満州電信電話会社にスカウトされた。そのころから満州国美術展に出品を始め、3回続けて特選をとり、画家として名が通っていく。宣伝になると同社では広報の仕事にまわした。こうしてスケッチブックとカメラを手に、満州国中を巡り歩き、その地の庶民生活を愛し、郷土玩具を集めた。それらの様子を新聞や週刊誌に書いた。その描写や観察眼は、研究者のようだった。

日本に引き揚げるとき、持ち出しが禁じられている写真244枚、スケッチ約100枚などを、命がけで持ち帰った。運送業のときの経験と技術が役立った。行李を上げ底にしたり、子どもの靴下に写真を隠したり。持ち帰れなかった玩具は絵にした。満州を巡り、いつしかモンゴルの大作を描きたいとの夢が強くあったので、持ち出しは自分自身の思いを守るものでもあった。

その思いは、少年スーホの目の表情やつま先が上がっている靴、馬の疾駆など、絵本の随所に生かされている。モンゴルの人が『スーホの白い馬』を見て「赤羽はモンゴルを本当に知っている」と言ってくれた。

そして、広大な草原とそこに掛かった二重の虹。

義父は「こういう風景をたくさん見ておきなさい。稼ぐ勉強ではなく、じっくりその地を見てきなさい。役に立てようとするものは、それが役立ったところで終わる。役立たないものほど永続して対話していける」といった内容の言葉を残している。

子どもの絵本として、「大衆的だが卑俗であってはならない」「格の高さと深さ、強さと優しさ」「子どもの本だからこそ、高邁なる精神で描かなければならない」を大切にした。「子どもはすごい。白い馬を抱くスーホの指先まで、しっかりと見ていてくれる」と。

それから、義父は随所に花を描いた。悲しい場面ではそれを和らげ、うれしい場面ではより喜びを豊かにするために。

しかし、「読者にはこれらは楽屋。それを知らずともよい。その作品自身を楽しめばよい」とも。

義父の生きた時代と人生、子どもの感じ取る力を信じて生み出していった作品の深さを知るほどに、より興味が増していく。

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