宮田文化庁長官に聞く これからの芸術教育

多文化共生社会へ向けて

文化は子供の個性を大切にするための基盤――。宮田亮平文化庁長官は2017年末、教育新聞などのインタビューに応じた。20年に東京オリンピック・パラリンピック開催を控え、日本文化を海外に発信するには、どのような人材の育成が必要なのか。自身の経験を交えながら、これからの文化・芸術教育の役割や、多文化共生社会の視点からの外国語教育の在り方、子供たちや教員への期待などを語った。

◇ ◇ ◇

――17年の日本の文化政策を振り返って。

n6 宮田文化庁長官インタビュー文化庁長官に就任して1年9カ月。正直なところ、最初はあまり面白くなかった。役所はどうしても、以前のものを継承していくのが仕事になる。私が学長をしていた東京芸術大学では、以前のものを継承するのは「正義」ではなかった。先生の言ったことをテストに書くのが良い子とされるが、東京芸大では、それは良い子とは言わない。「まねしているだけでは駄目だ。あなたの個性は何だ?」と問い続けるのが教育方針だった。

文化庁長官として、「日本の文化をもっと世界に」という意識で発信ができればと思っている。文化庁の中も変化している。文化庁の取り組みを積極的に内外に発信するようにし、組織内に好循環が生まれつつあると感じている。

例えば、日本遺産パネルや芸術作品を展示し、文化庁庁舎をギャラリーのようにした。先日、林芳正文科大臣が訪れて、「文化庁っていいね」と感想を話していた。職員が一体となり、どんどん変化していけばいいと思っている。

――新学習指導要領では、小学校で外国語や道徳が教科になる。文化庁長官として、学校教育に期待するものは。

もっと文化を親しむ時間や芸術教育を増やしてほしい。英語などを導入するのは良いことで、グローバルな世界にどんどん飛び出してほしい。ただ、そのときに「手ぶら」で外に行ってもらっては困る。

私は新潟の佐渡の生まれだが、海外に行ったときに故郷の話をする。日本中の能舞台の3分の1が佐渡島にあるのをご存じだろうか。室町時代に活躍した能楽者、世阿弥がほんのわずかな期間だが、佐渡島に流された。そのとき、農民が世阿弥からその芸術を受け継ぎ、文化として膨らませて現在まで残っている。私も5歳の頃から、能を習っていた。人が文化を大事に保存するのではなく、それぞれに活用している姿がある。それがあるから、良い日本らしさ、面白さが出てくると思う。

子供たちには、海外との文化という共通言語を持つことによって、日本の素晴らしさを伝えていってほしい。彼らは必ず「日本の良いところはどこか」と聞いてくるだろう。

道徳とは「人間はこうあるべきだ」というシステムを学ぶことだ。戦前の道徳は個人を廃し、集団として一色にしようとするものだったが、これからの道徳は個人個人の個性が大事だ。個性を大事にするには、基盤が重要だ。しっかりとした基盤があるからこそ、個性がある。その基盤とは文化ではないか。

具体的な教科では、美術や書道、音楽、体育になると思うが、文化を学ぶ機会を、学校教育にもっと増やしていくべきだろう。

海外を訪れたときに、あるバレエ学校を急きょ、視察をさせてもらったことがある。教育者として、その学校の教育をぜひ見たいと思ったからだ。早朝だったので子供たちはいないだろうと思っていたが、そんなことはなかった。レッスン室にも入らせてもらい、教育実践の空気を感じた。その中には日本の子供たちもいた。遠くを見つめる視線の先に、「将来は自分の表現で世界を感動させよう」という気概を感じた。そんな子供を増やさなければ駄目だ。そのためには、やはり先生も増やさなければならない。

――20年に東京オリンピック・パラリンピックを控え、訪日外国人も増えている。また、在日外国人も増えている。日本の多文化共生社会の実現に向けた課題は?

それぞれの国の「お国自慢」のようなものを互いに尊重し、それらが混ざったときに、新たな環境・文化ができるチャンスになる。

先生方にも、学習指導要領だけでなく、さまざまな国の幅広い文化について知見を深めていってもらいたい。

私は、ドイツに行って日本を知った。日本はすごい国なのだと分かった。いろいろな国の人たちが来て、日本の文化を知り、広めてもらうのはもちろん重要ではあるが、むしろ日本に来たことで自国の文化と比較し、自国の良さに気付いたとき、そこからスタートするものがある。

相互理解とは、たった1回の交流で終わるものではない。連携が何度も繰り返されながら、お互いが次第に分かり合っていくものだ。その過程で日本を好きになってくれれば良い。一気に何かを性急に進めようとする考え方は、お仕着せになってしまうような気がする。

ただ、多少のおせっかいは必要ではないかとも思う。先日、テレビのニュースを見ていたら、愛知県豊田市の市民ボランティアが外国人に声を掛けていく、「Toyotaまるごとおせっかい」という取り組みを紹介していた。意外なところで外国の方は困っているのに気が付き、行政や企業に改善を働き掛けていた。日本人の感覚だとおせっかいなのかもしれないが、海外の人からすればおせっかいではないと思う。そういう取り組みをしていけば、生きた英語も身に付いていくだろう。

日本人は英語を話すとき、文法を意識してしまいがちだ。私はドイツに行ったとき、ドイツ語の文法通りには全く話せなかった。しかし、こちらからお願いができ、相手の言っている内容が把握できれば何とかなる。それくらいの方が、お互いに分かり合おうと一生懸命になる。素の部分で伝え合えるところもいっぱいあるはずだ。

細かな文法の間違いに赤字を入れる、優劣の付けやすい教育はもうやめた方がいい。もっと自分の気持ちを伝えるようなこと、そして、相手が何を言いたいのかや、「聞きたい」という意識を大切にしたい。双方が歩み寄ることが必要だ。

先生の思っていることを発言するのが頭の良い子とされているが、本当に頭の良い子というのは、じっくり考えている子だ。答えのない世界だ。そして、人生にも答えはない。正しい、正しくないで物事を考えるのではなく、そのことが持っている面白さを深めていったら、新たな発見があるかもしれない。

そして、「それは違う」と切り捨ててはいけない。「面白いね」って言ってあげる家族や友達、そして先生であってほしい。

関連記事