【震災から8年④】津波の脅威伝える 被災校舎を震災遺構に

津波で流された車が残る校舎3階。ベランダから海が見える

校舎の3階に流れ込み折り重なった車、骨組みがむき出しになった教室の天井、最上階まで押し寄せた津波で壊れた壁――。宮城県気仙沼向洋高校の旧校舎は、今も津波の脅威を見せつける。気仙沼市は3月10日、この旧校舎と、新たに建てた資料館を「東日本大震災遺構・伝承館」としてオープンさせた。国の復興交付金を一部使いながら総事業費約12億円をかけて完成した。

旧校舎では、最上階の4階まで浸水した南校舎の1、3階と4階の一部、屋上、北校舎、車が折り重なる渡り廊下が公開されている。資料館(鉄筋平屋、約1295平方メートル)は、大型スクリーンで当時の状況を知るシアター、語り部(べ)に学ぶ講話室、防災体験に活用するホール、当時の写真や震災に関する文献が見られる展示室などを備える。

初日の10日には記念式典があり、県内外から約1000人が来場。菅原茂市長は「多くの犠牲者を出した気仙沼市だからこそ、被災の様子をそのまま残し、後世まで記憶や教訓を伝える使命がある」と述べた。

気仙沼向洋高校は水産教育を中心とした専門高校で、校舎は海岸から500メートルも離れていない。2011年3月11日は授業が午前で終わり、午後は1、2年生220人のうち約170人が学校に残って部活動や補習をしていた。地震発生後、教員27人が生徒を誘導し、1960年チリ地震の津波でも無事だった1キロ先の地福寺に避難した。点呼の途中で一部の教員が「地福寺も危険だ」と強く訴え、大きな余震が続く中で腰を抜かした状態の生徒らを背負いながら内陸部の市立中学校へ避難した。途中で多くの住民にも避難を促したが、瓦礫(がれき)の片付けなどをしていて避難する様子はなかった。その後、津波が地福寺を含む一帯を襲ったという。

被災した子供たちの体験を基にした絵本に熱中する児童

校内では22人の教職員は生徒が残っていないかを確認していた。停電していたが、カーナビで警報を受信して10メートル以上の津波が来ると知り、指導要録や入試データ、通帳、公印などを屋上へ運んだ。その後、津波が校舎4階に達し、さらに鉄筋造りの冷凍倉庫が流されてきて校舎4階のベランダに激突したが、避難住民と共に全員が難を逃れた。

同校に勤務していた小野寺文男教諭は、奇跡的に全員無事だった要因を「海岸近くに立地しており、生徒・教職員が津波を想定しつつ日々生活していたため」と振り返る。教諭や講師として同校に19年間勤務し、今は地元の自治会長を務める芳賀一郎さんは「同じ顔の津波は来ない。大地震が来たら少しでも高いところへ避難することを学ぶ場にしてほしい」と語った。