【震災から8年⑤】「自分にも何かができる」 学校から未来へ

岩手県一関市で震災遺児のための寄付を募る中学生

1万5897人が亡くなり、2533人は今も行方が分からない――。未曽有の被害をもたらした東日本大震災発生から8年がたつ。被災地では3月11日、家族や友人を失った人々が各地で追悼の祈りをささげ、後世に記憶を継ぐ行事に足を運んだ。

岩手県一関市では、市立一関中学校合唱部の1、2年生45人が追悼コンサートを開いた。JR一ノ関駅前で「春よ、来い」などを聴かせ、コンサート前後には震災で親を失うなどした子供のための寄付を募った。合唱部顧問の綱川美代子教諭は「今の1、2年生は震災発生時5、6歳で、当時の記憶が薄れている。今後さらに震災を知らない世代が増えていく中で、震災と真剣に向き合い、何かができる日にしたいと考えた」と語り、「今後も未来につなげていきたい」とした。

同県釜石市では同日、犠牲者を悼む「釜石祈りのパーク」を開園した。市内の死者・行方不明者は1064人。慰霊碑には遺族の意思確認調査などを経た997人の氏名が記され、訪れた人々が献花した。防災市民憲章碑に刻まれているのは「備える」「逃げる」「戻らない」「語り継ぐ」の四つの教訓だ。

同市が位置する三陸地方には昔から、「津波が来たら少しでも早く、家族がてんでバラバラでもとにかく逃げろ」を意味する「津波てんでんこ」という言葉が伝わる。この教えに基づき、同市立小・中学校の児童生徒計2926人は、地震発生と同時に全員が迅速に避難した。残念ながら5人が命を落としたが、生存率は99.8%で「釜石の奇跡」と呼ばれ、防災教育の成功例とされる。

当時、市立中学校3年生だった一人は、3月23日開業予定の津波伝承施設「いのちをつなぐ未来館」で語り部(べ)をするという。「地震が起きた瞬間に授業や祖父の言葉を思い出し、渋滞する車をよじ登って高台へ逃げた。自分の命は自分で守ること、助けてもらう人から助ける人になることの大切さを、次の世代に伝えていきたい」と語る。

被災地で人々が強く訴えるのは「震災のことを忘れないで」という願いだ。また、「『自分は何もしていない』という罪悪感をもたないでほしい。現地に足を運ぶことや義援金を送ることが全てではない」とも言う。今後ますます震災発生から年数がたつ未来に向けて、当時の状況や避難の様子を子供に伝えたり、防災・減災のための教育を改めて見直したりするなど、身近な取り組みを続けることが一層重要になっていくだろう。

(小松亜由子)