旧開智学校校舎が国宝に 近代学校建築で初の指定

長野県松本市の旧開智学校校舎が近代の学校建築として初めて、国宝に指定されることになった。文化審議会が5月17日、文化財分科会を開き、文科相に答申した。旧開智学校校舎は明治初期に、地元の大工が洋風を基調に和風の伝統意匠を織り交ぜて建設した学校建築。

国宝に指定された旧開智学校校舎の外観(松本市教育委員会提供)

同審議会では「近代教育の黎明(れいめい)を象徴する最初期の擬洋風学校建築として、深い文化史的意義を有している」と国宝指定の理由を説明した。

旧開智学校校舎は明治9年、地元の大工、立石清重によって建設された。立石は東京や横浜に赴いて当時最新の洋風建築を調べ、木造2階建ての正面中央に二層の車寄せをつけ、その上方に八角形の塔屋を載せるという独特のデザインを生み出した。

車寄せの正面に竜の彫刻、上部の露台に瑞雲(ずいうん)の彫刻を飾り、その上に唐破風(からはふ)屋根を掛け、最新の洋風建築を模範としながらも伝統技術を駆使した学校建築となっている。

建設費は1万1千円で、現在の価格に直すと1億3千万円から2億円に相当する。当時の筑摩県令だった永山盛輝が主導し、建設費の7割を地元の人たちが寄付した。

旧開智学校校舎学芸員の遠藤正教さんは「資金繰りだけでなく、明治初期の廃仏毀釈(きしゃく)で廃寺となった寺院の古材を活用するなど、地元の人たちが相当な苦労をして建設された学校。学校教育に夢を持った時代の建築物だ」と話す。

校舎は1963(昭和38)年まで現役で使われていた。最盛期の明治20年代には在校生が3千人に達した時期もあったという。

旧開智学校校舎の内部(松本市教育委員会提供)

遠藤さんは「明治30年代から学校の先生たちが『この校舎は貴重な建物だから、大切に使おう』と児童に教えてきた経緯もある。だから、別の施設に転用されたり、壊されたりすることもなく、昭和38年まで校舎として使われ、その後も大切に保存されてきた。地元の人たちのプライドを象徴する建物が国宝に指定されたことは、とても誇らしい」と話す。

文化審議会の答申には、このほかに京都市の真宗本廟東本願寺、福井県永平寺町の永平寺、和歌山県岩出市の根来寺など8件の建造物を重要文化財に指定することが盛り込まれた。

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