【常識破りの高校野球】(上)短時間練習で甲子園目指す

高校球児たちが日本一を争う「第101回全国高等学校野球選手権大会」が、兵庫県西宮市の阪神甲子園球場で開催中だ。国民的な行事として定着している夏の甲子園だが、近年は炎天下で連日続く試合日程や、長時間練習が部活動改革に逆行しているとの批判もある。

そんな中、甲子園出場経験のない無名校ながら、高校野球の常識を覆す練習方法で強豪校と互角に渡り合うチーム力を育て上げ、注目されているのが広島県東広島市にある武田高校硬式野球部だ。プロ野球選手として活躍した経験もある同校教諭の岡嵜雄介監督が展開する指導法を3回に分けて報告する。第1回では、1日1時間という短い練習時間にもかかわらず、チーム力を上げる秘訣(ひけつ)に迫る。


短時間の練習を補うリーグ戦
武田高校硬式野球部の岡嵜雄介監督

武田高校野球部は、甲子園への出場経験はないものの、昨年の秋季広島県高校野球大会でベスト8に進出。準々決勝では、昨年夏の甲子園大会に県代表で出場した広陵高校に4対6で敗れたものの、強豪校をあと一歩のところまで追い詰めた。

そんな武田高校野球部「Zebras」が掲げるスローガンは「カウンターベースボール」。常識を疑い、打ち破ることで、新しい道を開拓していく、という意志が込められた言葉だ。その戦略は野球部の活動のさまざまな場面で見ることができる。

強豪校と真逆を行くZebras流の筆頭は、チームとしての練習時間が平日の放課後だけに限られることにある。進学校としても知られる同校は、平日は金曜日を除き7時間目まで授業がある。一方、放課後の練習は午後5時45分には終えなければならない。このため、練習時間は約1時間しか取れず、日の短い冬季はさらに短くなる。放課後以外には、参加自由の朝練習があり、土日に練習試合を多く組んではいるが、それでも「野球漬け」とも言われる強豪校に比べれば、練習量は圧倒的に少ない。

また、同校の野球部は専用のグラウンドを持っていない。放課後の練習は他の部活動とグラウンドを共用しているため、必然的に「個人練習」が中心となる。

では、一体どこで「チーム練習」をしているのか。その秘密が、年間を通じて繰り広げられる部内リーグ戦「Zebras League」だ。部員たちは、同校の創設者が戦国武将の武田信玄の子孫に当たることにちなんだ「ウィンズ(風)」「フォレスト(林)」「ファイヤーズ(火)」「マウンテンズ(山)」の4チームに分かれ、順位や成績を競い合う。MVPや首位打者、ホームラン王など、さまざまな個人タイトルを設けて表彰する制度もあり、プロ野球さながらの本格的な構成だ。

岡嵜監督は「リーグ戦を始めたのは、部員全員に経験を積ませたかったから。チーム編成は野球の技能レベルで1軍や2軍を分けないため、各チームには必ず弱点が生まれる。その弱点を補い、勝つための作戦を考えるようになることで、助け合うようになる」と、その狙いを説明する。

他の部活動と共用しているグラウンド

同校には野球部強化を目的とした入試の推薦枠はなく、高校から野球を始める部員も少なくない。山間部に位置するため学生寮で生活する部員も多いが、この学生寮も強豪校のような野球部専用の施設ではない。寮生活を送る部員は、放課後の練習が終わると食堂で夕食を済ませ、午後9時まで勉強に励む。まさに文武両道を体現したような学校生活を送っているのだ。

強豪校の場合、練習が終わった後も自主トレーニングや食事指導など、体づくりに励むケースが多い。しかし、岡嵜監督は「強豪校ではとにかく量を食べさせて体を大きくする指導が行われているが、本校ではやっていない。むしろ食べたいときに食べられるようにしておくこと、しっかり睡眠を取ることを意識させている」と話す。実際に、部員たちが自ら栄養バランスを考えた夜食を作ったり、朝の練習に備えて早寝早起きを実践したりしているという。それだけでも十分に体は大きくなるそうだ。

岡嵜監督は「部員には、朝から活動できる人になろう、と話している。朝練で課題が出れば、それを踏まえて放課後の練習ができる。部員が主体的に考えてPDCAサイクルを回すように働き掛けている」と語る。

第2回では、同校野球部のICTを駆使した独自のデータ野球について取り上げる。


【プロフィール】

岡嵜雄介(おかざき・ゆうすけ)

武田高校情報科教諭、同校野球部監督。1981年広島県呉市生まれ。広島商業高校野球部で活躍した後、神戸学院大学に進学。卒業後、2年間の社会人野球などを経て、四国アイランドリーグの徳島インディゴソックスに入団。2年間プレーし、26歳で現役を引退。引退後は広告代理店に就職したものの、高校野球の指導者を志し退社。大学の通信教育で高校の教員免許状を取得。2011年度に京都府立命館高校の教員として赴任し、男子ホッケー部の監督としてインターハイでベスト8進出を果たした。14年に武田高校に赴任し、15年7月同校野球部の監督に就任した。