音楽専科が集う「駆け込み寺」 コロナ禍でも喜び見いだす

コロナ禍で学校における音楽の活動は一変した。飛沫(ひまつ)防止のため合唱やリコーダーは制限され、多くの演奏会が中止となった。心の中で歌う、ハミングするといった新しい生活様式を求められる中、悩める音楽専科教員らが集う「音楽教育駆け込み寺」がある。さいたま市内の小学校で30年間にわたり学級担任・音楽専科教員として勤務し、現在は家業の寺院で住職を務める熱田庫康(くらやす)氏が主宰する勉強会だ。「今年の子供たちは、決して不運ではない。音楽の本質を味わえる素晴らしい機会がある」――。熱田氏は、制限があるからこそ見えてくる音楽教育の喜びを、教員たちとともに見いだしている。

戸惑う音楽専科
――音楽の先生方から今、どんな声が聞こえてきますか。
元小学校教員で「音楽教育駆け込み寺」を主宰する住職の熱田庫康氏

「音楽教育駆け込み寺」は文字通り、音楽専科の先生で授業に困った人、人間関係に困った人、楽譜や音源など教材を探している人などの相談に乗るための会です。8年前に家業のお寺の仕事をするため早期退職しましたが、その直前に初任者の指導担当をしており、引き続き相談に乗ってほしいという要望があったことから設立しました。

コロナ危機の前は月に1度の例会で、10~20人ほどの先生がさいたま市にある私のお寺に集まっていました。他にも全国に550人ほど、会員として登録しているメンバーがいます。設立当初は特に学校での相談相手がいない、臨時採用の音楽専科教員を対象としていましたが、今ではベテランの先生方も熱心に参加しています。

今は新型コロナウイルス感染防止のため、音楽の授業にはいろいろと制限がありますが、先生方は何とかガイドラインの中で成り立たせようと頑張っています。ただ、中には9月まで音楽の授業がなくなったり、校長先生が神経をとがらせて「夏休みまでは一切、歌を歌わないように」と厳命されたりした先生もいたようでした。

また、新型コロナウイルスへの対応として授業時数を弾力的に扱えることに乗じて、国語や算数などの主要教科を普段以上に教え、音楽の時間を削る自治体もあったようです。

「新しい生活様式」に関するガイドラインでは確かに、換気の悪い場所で密集して歌ったり、リコーダーなどの管楽器を吹いたりすることを制限してはいますが、「歌や演奏は全部だめ」と言っているわけではありません。

感染対策をしながら歌い方を検討するための表(音楽教育駆け込み寺提供)

それでも、管理職や保護者の中には「とにかく歌は危険だ」と思い込む人もいるようです。駆け込み寺では、感染対策をしながらどの程度まで歌うことができるか、客観的に管理職などと相談するための表を作成して、全国のメンバーに配りました。

学校の設備の状況に応じて「うちの音楽室の広さなら『軽唱』で、時間は10分まで」などといった相談が進めやすいようになっています。この表を使って管理職に相談した結果、「軽くなら歌ってもよい」ということになった、という学校もありました。

――授業はどのように進めているのでしょうか。

先生方はいろいろと工夫しています。先生や友達と接触しない形で、手をたたいてリズム遊びをしたり、この機会に楽譜を読む練習をしたりしている先生もいるようです。

学校では先生がリコーダーの模範演奏を聞かせて、子供は指使いの練習だけ行い、実際の演奏は家で練習するように指導するとか、先生の伴奏を録画してYouTubeで限定配信し、子供は自宅で伴奏に合わせて吹く、という工夫をしている先生もいます。自分で音色を作り出すなら、やはりリコーダーがよい。電子オルガンでは、誰でも同じ音が出せてしまうからです。

楽器メーカーの実験では、演奏している最中に危険な状態で飛沫が出る可能性はさほど高くないようです。ただ心配なのは、吹いていない時に子供たちがリコーダーを振り回したり、鍵盤ハーモニカのホースをぐるぐる回したりして飛沫が出ることです。

いくら約束しても、ついやってしまう子供はいます。楽器として危ないというより子供たちの行動の面で、完全に飛沫を防げるかどうか心配な部分がある、ということです。

歌えなくても音楽の本質は分かる
――音楽の先生方はストレスをためているのではないですか。

実は、制限があるからこそ「これまで見えなかったものが見えてきた」という声が、たくさん届いています。子供たちにも「小さな声でも、みんなと歌えて楽しい」「マスクを着けて歌うと、自分の声がよく分かる」という気付きがあったようです。

私は今回の新型コロナ危機で、音楽に携わる教員の、考え方の本質が見えてくるのではないかと思っています。

昔から私は、音楽が「技能教科」と呼ばれるのがいやでした。ただ、そのように考えている管理職や教員は多いし、音楽の教員自身でさえ、そう考えていることがあります。歌をうまく歌い、リコーダーを上手に吹いて、派手な演奏会で技巧を見せることが大事だ、と。

私は音楽を、技能を伴う教科だとは思っていますが、目指しているのは技能を伸ばすことではありません。子供たちが自ら工夫したり、速さ、リズム、強弱など音楽を形づくっている要素に敏感に気が付いて、豊かに操作したりといった資質能力を育てることがメインで、知識や技能はそれを助けるためのものにすぎません。

電車で「おい、あのアイドルの新曲聞いたか? あの子、かわいいよな」などと話している男子を見かけますが、もし音楽を形づくっている要素を見据えた授業が展開されていたらどうなるか。「おい、あのアイドルの新曲聞いたか? 俺、あの途中の転調がたまらなかったよ。あのユニゾンから二部になった瞬間なんか、ゾクゾクしたよな」というような会話が飛び交うはずです。音楽の良さを、音楽の中身に根拠をもって語れるようになるのです。

そういうことの方が、技能を伸ばすよりずっと重要です。音楽と一生付き合っていく上で、「この曲は、こういう要素が働いているから良さが出てくる」と語れる方が、ずっと幸せではないでしょうか。

技能だけを追い求めている教員は、コロナ禍で技能を磨けないわけですから、ストレスをたくさんためていると思います。「何もできない」と言って怒ったり、愚痴を言ったりしているかもしれません。

駆け込み寺に来る先生方は、音楽は技能教科ではないと考えているので、そんな愚痴は聞かれません。技能を追い求めすぎると、子供たちが音楽を嫌いになってしまう。音楽会が近くなるとつい「できない子は残って特訓しなさい」などと口走ってしまう先生もいますが、音楽を嫌いになったら全てを失ってしまいます。「音楽は楽しいものだ」と子供に思ってもらえることが大前提です。

全国の先生方がコロナ禍を機に、音楽は技能だけを追い求めるものではないと分かってくれれば、災い転じて福となす、ではないでしょうか。

「点数を取るための音楽」をしなくてすむ
――今年は、多くの音楽大会が中止になっています。

最近、「放課後の課外活動で行っている金管バンドで合奏ができず、大会も全て中止になった。子供たちのモチベーションが上がらずに困っている」という相談が駆け込み寺にありました。

私は「今年は大会もないし不運だな、という感覚を子供たちに持たせてはいけない」と話しました。「今年は大会で点数を取ったり、他の人と比べたりする音楽をしなくて済む。音楽の本質や喜びを子供ながらに味わえる、素晴らしい機会だ」と考えたほうがよい。

“コンクール命”で管楽器をやっている子供たちはたくさんいます。ただ、演奏に点数を付けることは本来、音楽の本筋ではありません。演奏する人と聞く人が共有して楽しむこと、それ自体が本当に楽しい。他人から付けられる点数とは関係なく、自分たちが楽しいという思いが大切で、今年はそれがよく分かると思います。

長い間、個人練習だけを強いられていた子供たちが久しぶりに合奏をしたら、感動するはずです。コンクールで金賞をもらうのとは全く違う喜びが味わえると思います。子供たちにはその日のことを一生、覚えておいてほしい。

あとは、やはり何らかの目標が必要です。いろいろな学校が集まる演奏会では感染リスクが高まりますが、自分の学校だけならば、時期などを工夫して演奏会ができるかもしれません。学校の体育館でもよいけれど、できれば外部のホールを借りてあげたいところです。

目標は教員が与えるのではなく、子供たちにどんなことがやりたいかを聞き、一緒に方法を探っていくのがよいと思います。そうすれば、子供たちのモチベーションも上がってくるのではないでしょうか。

【プロフィール】

熱田庫康(あつた・くらやす) 1957年、東京都生まれ。東京学芸大学教育学部卒。さいたま市(旧大宮市)の小学校4校で学級担任、音楽専科教員として勤務後、初任者教員指導担当を務める。小学校学習指導要領解説音楽編作成協力者(平成10年版・20年版)。2012年に早期退職し現在、浄土真宗本願寺派真応寺=埼玉県さいたま市=住職。14年に「音楽教育駆け込み寺」を設立、代表アドバイザーを務める。

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