荒瀬教授と中教審答申を読む(上) 子供を学校教育の主語にする

中央教育審議会(中教審)が1月26日にまとめた答申は、2020年代を通して学校教育が実現すべき姿を「令和の日本型学校教育」として描き出した。初等中等教育分科会長・特別部会長として答申の取りまとめにあたった荒瀬克己・関西国際大学学長補佐・基盤教育機構教授は「今回の答申は、一人一人の子供を主語にして日本の学校教育を進めていこうということ。教員側の発想である『個に応じた指導』を、子供たちにとっての『個別最適な学び』と捉え直していく。つまり、主語を子供たちに転換する。まず、ここに注目してほしい」と力を込める。答申の特徴や考え方を3回に分けて解説してもらった。

(聞き手・教育新聞編集委員 佐野領)


「令和の日本型学校教育」に込められた意味
――「令和の日本型学校教育」というタイトルは昨年夏ごろ、答申の取りまとめが本格化した段階で急浮上してきました。元号を使った上に、「日本」が強調されていますが、このタイトルにはどのような意味合いが込められているのでしょうか。

インタビューに応じる荒瀬克己教授

「令和」については、「これから」という意味合いが込められていると思います。また、「日本」ということですが、これは「日本型学校教育」という一続きの言葉として、「これまで」のわが国の学校教育を意味しているものです。

つまり、これまで取り組まれてきたわが国の学校教育の良さを再確認しつつ、Society5.0と呼ばれるような社会を生きるために必要な力を子供たちに養うために、新しい技術も積極的に取り入れながら、これからの学校教育を進めていこうということです。

こういう日本語表現は、いま順次本格実施されている新学習指導要領で、実際のところは折り込み済みという気がしています。新しい学習指導要領では、先行していたアクティブ・ラーニング(AL)という言葉を使わなくなり、「主体的・対話的で深い学び」という言葉に変えています。ここには、二つの意味があると思っています。

一つは、ALという言葉が多くの誤解を招いてしまっていること。例えば、教室の机の並べ方に、ALのポイントがあるみたいな、誤った考え方が出てきた。児童生徒の学習がアクティブであることが大事なのですから、その実質的な意味を表すために「主体的・対話的な学び」という言葉を使うようになりました。

もう一つは、ALやカリキュラムマネジメント、スクールポリシーといったカタカナ言葉がたくさん出てきて、それに対する抵抗感とか、はっきり意味の分かる日本語を使うべきでないかという考え方が働いたと思います。

ただ、こうなると、「日本型学校教育」とは何かということが重要になります。これまでの学校教育の在り方について総括し、認識を共有する必要があります。若年教職員が増えていることでもあり、何を継承していくかを明らかにして取り組まなければなりません。

――「日本型学校教育」は、これまで「子供たちの知・徳・体を一体で育む」という言葉で表現されてきました。

そうですね。会議の中で今回の答申について、「徳・体」が十分に述べられていないのではないかというご意見もありました。ただ、答申は改訂された学習指導要領に基づく学校教育を進めていく上での考え方の整理であるとか条件整備について提案しているので、「徳・体」については、学習指導要領に盛り込まれていると言えます。

今回の答申の基本的な姿勢ですが、あれかこれかといった二項対立で、例えば「前は悪くて、今がいいんだ」というような、思考停止に陥らないようにしようといったことがあったように思います。「これまでの良かったところはしっかり残していこう」と考える一方、「時代が変わってくるし、求められるものも違ってきている。それに応じた教育を展開していく必要がある」という、バランスをとる発想です。

新型コロナウイルスの感染拡大のように、予測できないようなことがどんどん起きていく中で、その時代や社会のありようによって必要になってくる資質や能力があるはずです。それをしっかりと養えるような教育に転換していく必要がある。これまでの日本の学校教育をしっかり見極めつつ、しかしそれだけを良しとするという発想では駄目でしょう。上手にミックスして、バランスよく調(ととの)えていく。加減とか塩梅(あんばい)といったことが重要だと思います。

「個別最適な学び」と「協働的な学び」
――答申のサブタイトルは「全ての子供たちの可能性を引き出す、個別最適な学びと、協働的な学びの実現」です。この「個別最適な学び」と「協働的な学び」を並べたことが、答申の大きな特色になりました。

これまでも「個に応じた指導」という表現が使われてきました。それがコンピューターの活用によって、新しい場面を迎えています。児童生徒一人一人の学びに対応することは重要ですが、学級の人数が多くては、やりたくても対応しきれません。そこでICT化が大きな助けになります。コンピューターが個別の学びを支えていくと、教員の仕事の内容が変わります。例えば、個々の生徒との対話の時間や、探究的な学習の指導に当てることにもつながります。ただ、やはり一人の教員の対応できる児童生徒数には限りがあります。小学校の学級人数が減ることになりましたが、今後さらに拡充して、初等中等教育全体に広がるよう願っています。

ただ、「個」が強調されすぎると、だんだん画面に向かって1人で学ぶことが推奨されているみたいな誤解が生まれてしまう。新学習指導要領は「主体的・対話的で深い学び」を求めていて、それを支えるための答申であるならば、「個別最適な学び」が一層進んでいくことは大事なんだけれども、もう一方では、その「個」が他の「個」とどう関わるのか、という「協働的な学び」がますます大事になってくる。だからこそ、「個別最適な学び」と「協働的な学び」の両方を大事にしようということです。

現行学習指導要領への改訂について提言した2008(平成20)年1月17日の中教審答申でも「個に応じた指導」ということは言われているのですが、一方で「開かれた個」という表現も使われています。「個に応じた指導」ですから、当然、一人一人の児童生徒に注目するのですが、その人にどうあってほしいかということも述べられているのです。

この時の答申では「自己との対話を重ねつつ、他者や社会、自然や環境と共に生きる、積極的な『開かれた個』であることが求められる」となっています。

また、「自分に自信がもてず、将来や人間関係に不安を感じているといった子どもたちの現状を踏まえると、子どもたちに、他者、社会、自然・環境とのかかわりの中で、これらと共に生きる自分への自信をもたせる必要がある」という文脈の中で、「自分に自信をもたせることは、決して自分への過信や自分勝手を許容するものではない。現実から逃避したり、今の自分さえよければ良いといった『閉じた個』ではなく、自己と対話を重ね自分自身を深めつつ、他者、社会、自然・環境とのかかわりの中で生きるという自制を伴った『開かれた個』が重要である。他者、社会、自然・環境と共に生きているという実感や達成感が自信の源となる」としています。

人は、他の人と関わりながら生きていく。これは当たり前の話です。それを考えたときに、新学習指導要領が示した「主体的・対話的で深い学び」の「対話的な学び」は、自分の中に閉じこもった「個」ではなく、「個」として学びつつ、他の「個」と具体的に関わりを持ちながら成長していくわけです。「深い学び」も「対話的な学び」によって支えられることが多いと考えます。

――コロナ禍による一斉休校で学校のICT活用が注目され、「個別最適な学び」がオンラインとの関連ばかりで取り上げられるようになったので、そうした状況に対して、学校に登校する意義にもつながる「協働的な学び」を打ち出して、巻き返そうとしたようにも思えました。

でも、実際のところは、新学習指導要領の「主体的・対話的で深い学び」が持つ理念の、重要な部分が「協働的な学び」である、と捉えることが必要です。今回の中教審答申は、新学習指導要領が軸になっていますから、そう考えると、「主体的・対話的で深い学び」を「個別最適な学びと協働的な学びの実現」で説明するのは、何ら矛盾しないと思います。

「個に応じた指導」は教員側の発想
――「個別最適な学び」という言葉は、コロナ禍とGIGAスクール構想の前倒しもあって、すっかり定着してきたようにみえます。

「個別最適な学び」については、中教審教育課程部会で、大変な時間をかけて議論し、文言も相当修正が入って、すごく分かりやすくなりました。その成果は、今回の答申にもそのまま援用されています。答申の「はじめに」にも載っています。

新学習指導要領にある「個に応じた指導」という言葉は指導ですから、教員側からの発想、つまり大人からの発想です。そうではなくて、答申では「一人一人の子供を主語にする」と表現しています。当たり前ですが、忘れてはならないことだと思います。

「個に応じた指導」という言葉から、「個別最適な学び」に変わったと言うことは、主語が教員から子供たちに転換している、ということです。

子供たちに視点をしっかり当てることが重要です。子供がどう考えて、どう生きていくのか、そのために子供にどんな力をつけなければならないのか。そういう子供を主語にした発想が非常に大事です。

教育関係の大人たちは、「子供たちに、これを教える」「子供たちに、学ばせる」と考えます。それは大事なことですが、「子供たちが自分で学べるようになるために、子供たちに教える」ことがもっと大事です。この順番が重要でしょう。子供が主語になるために、その指導に当たる教員が、主体的に、まさに主語になって、どういう教育をしていくのがいいかを考えていくことが、大事だと思います。

実は、新学習指導要領では、総則の最初に書いてある文言でも、その順番が全くひっくり返っています。

――それは知りませんでした。

小中高同じ体裁ですが、高校で見ると、2009(平成21)年告示の現行学習指導要領の「総則第1款教育課程編成の一般方針」の「1」に、「生徒の人間として調和のとれた育成を目指し、地域や学校の実態、課程や学科の特色、生徒の心身の発達の段階及び特性等を十分考慮して、適切な教育課程を編成するものとし」とあります。

一方、2018(平成30)年告示の新学習指導要領では、「総則第1款」が「高等学校教育の基本と教育課程の役割」となっていますが、その「1」には、「生徒の人間として調和のとれた育成を目指し、生徒の心身の発達の段階や特性等、課程や学科の特色及び学校や地域の実態を十分考慮して、適切な教育課程を編成するものとし」となっていて、生徒がまず初めにきています。

――この入れ替えは、学校現場や教育委員会でも読み飛ばしているんじゃないでしょうか。

これは、教育課程を編成するときには、子供たちを中心に考えるんだよ、ということです。新学習指導要領の解説で「生徒の発達の支援、家庭や地域との連携・協働等を重視するといった基本的な考え方に基づき行った」といった説明はありますが、具体的には出ていません。

新学習指導要領の「主体的・対話的で深い学び」、今回の答申の「個別最適な学び」と「協働的な学び」。こうした「学び」という言葉の主語は、子供たちです。今回の中教審答申は、学習指導要領に基づく学校教育を進めていく上で必要な認識について述べています。

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