荒瀬教授と中教審答申を読む(下) 探究学習こそ教師の役割

中央教育審議会(中教審)の答申では、コロナ禍の休校長期化によって、子供たち一人一人が自立した学習者として学び続けていけるかどうかが改めて焦点化され、子供たちにそうした資質・能力を育成する教師の役割についても議論が深められた。取りまとめにあたった荒瀬克己・関西国際大学学長補佐・基盤教育機構教授は「教師の役割を考える上で、鍵になるのは『総合的な学習の時間』『総合的な探究の時間』だと思う」と述べ、探究学習の重要性を改めて強調。「探究学習には、『基礎を学ぶ段階』と『探究を進める段階』がある。その順番を踏まえることが大切だ」と話す。

(聞き手・教育新聞編集委員 佐野領)


教科の専門性は探究学習で生きてくる
――今回の答申を読んでみると、これからの教師の役割は、ICTを駆使して対面とオンラインのハイブリッド授業をこなし、一人一人の児童生徒に個別最適な学びと協働的な学びのベストミックスを提供し、それを通して児童生徒が自分で学び続ける人間になるように仕向け、最終的には自立した学習者として自走させていく――という姿になります。冷静に考えると、相当高度で専門的な内容を教師に求めているのではないでしょうか。
探究学習について説明する荒瀬克己教授

確かに大変なことだと思います。でも、教師の仕事とは、本来そういうものではないか、ということです。このためにこそ、教師は研さんし、いろいろな先生と対話を通して学び合いをして、その成果を子供たちに還元していく。これが教師のやりがいではないか、と思います。

そのときに一つの鍵になるのが、「総合的な学習の時間」「総合的な探究の時間」ではないかと、私は思っています。

先日、ある高校の「総合的な探究の時間」の指導について、質疑応答の機会がありました。そのとき、出席した先生から「自分は教科の専門について大学で学び、教科の専門家として、小テストや授業の工夫、いろいろな準備もする。それに加えて『総合的な探究の時間』を担当するのは非常に負担が大きい。本当に『総合的な探究の時間』が重要ならば、専門の免許を作り、その専門家がやっていくべきではないか」と質問されました。

たぶん、同じような思いを持っている先生が多いのではないかと思います。確かに「総合的な探究の時間」は負担が大きい。何のためにやっているかが共有されていないと、負担感が増すばかりだと思います。

探究学習は、自分で学べる生徒を育てるために、生徒自身が学び方を身に付け、学びの面白さを経験するための重要な機会です。「総合的な探究の時間」を進めていくためには、その学校の取り組みを統括するような「組織」が必要だと思います。どんな力を養うために、どう取り組むのかを考える組織です。何のために「総合的な探究の時間」に取り組むのかという意義について、そして具体的な取り組みについて、先生が学び合うための組織です。そうすることで、生徒があるテーマを選択し、これをやっていこうというときに、先生としては「自分の教科の専門性からすると、どう関わるのかな」と考えていくことができます。

各教科の先生の専門性が生かされないような「総合的な探究の時間」というのは、あまり意味がありません。生徒の学びでも、各教科で養った力を使わない「総合的な探究の時間」は、あまり意味がない。それでは、いい加減なものになります。

「総合的な探究の時間」は、各教科で得た知識や考え方を駆使するのだから、例えば、国語の先生は国語としてのものの見方や考え方について、ご指導いただきたいと思います。

生徒は最初、「これ、やるんですよ」と言われて探究学習を始めます。でも、取り組んでいく中で、必要になってくる知識や技能がたくさん出てきて、そういうものを自分で集めたり身に付けたりしていくうちに、学び方が分かるようになっていきます。そうすると、探究の意義がいっそう確かなものになります。そのようなプロセスを作るためには、まず先生が学び合うことが必要です。

探究学習には、基礎を学ぶ作法がある
――探究学習に取り組む先生たちに話を聞くと、生徒が主体的に自分で学習に取り組むようになるまでが大変だという声をよく聞きます。生徒のやる気にスイッチを入れるために、なにかノウハウはあるのでしょうか。

これで大丈夫というようなものはないと思いますが、とても参考になるのが、2016年12月の中教審答申です。新学習指導要領の「理数探究」「理数探究基礎」について説明した箇所があります。新しく導入される教科なので、「そもそも探究とは」という最初のところから、非常に分かりやすく書き起こしています(編集部注 16年12月21日付中教審答申「幼稚園、小学校、中学校、高等学校及び特別支援学校の学習指導要領等の改善及び必要な方策等について」151ページ)。

その中で、探究を学ぶときには「基礎を学ぶ段階」と「探究を進める段階」があると説明しています。

探究学習がうまくいってない学校では、基礎を学ぶ段階が十分に行われてないことが多いのではないでしょうか。基礎を学ぶ段階は、ちゃんと取り組み方が示された「教科書」が必要なのです。基礎を学ばせないで、生徒に「好きなことをやってみなさい」と言ってもできません。先ほどお話しした「組織」が、この「教科書づくり」に当たることが必要です。

基礎の段階では何が大事なのかというと、それもこの答申に書いてあります。それは「探究の過程全体を自ら遂行するための進め方等に関する基礎的な知識・技能」であり、「新たな価値の創造に向けて挑戦することについての意義の理解」です。特に「意義の理解」が非常に重要で、これがないまま「好きなことやってみなさい」と言っても、生徒は好きなことをやる意味が分からない。

このとき、指導にあたって留意すべき点については、「さまざまな気付きから疑問を形成させるようにすること」です。そんなきっかけをいっぱい「教科書」として用意しておく必要があります。

探究学習を進める上でも、やっぱり基礎はしっかりと教えておく必要がある。そこに各教科の学びが生きてくる。探究学習にはある種の作法があるわけです。「やりたいことがあるだろう」とか、「やりたいもの探せ」とか言われても、そのときに基礎を学ぶ段階が十分に行われていないと、生徒はその気になりません。

さらには、探究学習の評価方法についても、答申ははっきり書いています。「探究の成果における新たな知見の有無や価値よりも、探究の過程において資質・能力をどの程度、身に付けることができたかや、探究の過程全体を俯瞰(ふかん)的に捉え、自らがどの位置にいるか、どこで間違ったのかなどが説明できるようになっているかという点を重視すべきである」と説明しています。

――探究学習では、プロセスをきちんと評価しろ、ということですね。

そうです。成果主義ではなくて、どんな力が付いたかとか、あるいは自分がどこにいるか捉えられるかとか、なんで失敗したとか。そういうことを生徒がちゃんと自分の言葉で説明できるように、いわばメタ認知の力を持たせることが大事だというわけです。

この答申の内容が、探究を進める上での基本だと思います。「総合的な学習の時間」というのは、まさに生きていく上で必要となる力を、教科の学習を基盤として総合的に養っていくというものです。先生方が、生徒を主語にして取り組まれることを期待します。

生徒が自発的に学べば、大学受験にも重なってくる
――校長を務められた堀川高校(京都市)では、どういうやり方だったのでしょうか。

数年かけてあれこれ試行錯誤した末に、探究を3段階に分けて進めるようになりました。最初は型を教える。講義もみっちりやります。教員は板書して、生徒はノートに写しながら考えるんですね。「探究とは何なのか」とか、「論文を構成する論の展開がなぜ重要か」といったことを生徒に教えます。

それだけではつまらないから、学んだことを使ってみる、やってみる場をつくります。生徒をグループに分け、テーマを与えて、練習ですね。

その中で『大学生のためのリサーチリテラシー入門』というテキストを使うようになりました。この本は高校生も使える、とてもよい本です。このようなテキストの発掘や、授業の進め方の考案、また、指導についての振り返りと改善などを担当する「研究開発部」という校務分掌をつくって取り組みました。「教科書」を提示する組織です。

しばらくするうちに、探究は「余計なもの」みたいな意識で入学してくる生徒が出てきました。「大学にいくために堀川高校に来たのに、なんでこんな授業があるのか」と、生徒は不満をもらすのです。それに対して、先生たちは堂々としていました。なぜ探究が大事かを知っているからです。上級生たちも卒業生たちも、探究の意義を伝えてくれました。彼らも先生も、探究の面白さについて、経験を通して理解していました。

「たのしんどい」という言葉を残した卒業生がいます。楽しいけれど、しんどい。しんどいけれど、楽しい。言い得て妙というほかありません。

私は、そうやって生徒が本当に自分で学ぶようになるところをたくさん見ました。探究学習は、大学受験で評価されないからと否定的な意見を言う人もいますが、私はそうは思いません。探究は自分のやりたいことを見つけることにおいても、大学に入ってから学ぶためにも、もっと言えば、これからの社会を生きていくためにも、とても重要な意味を持っています。それに、段取りを組んで学習を進めることと、大学受験に向けて勉強することは、重なっていますからね。だから受かるんだと思います。

――生徒が自発的にやるようになるかどうかが大切なのですね。

そうです。主体的に学習に取り組む態度が生まれない限りは、生徒からすると、お仕着せみたいになってしまいます。そうではなくて、自分で自分の学びをデザインしていくことが本当に大事なのです。

でも、最初から「自分でやりなさい」と言っても、それは絶対に無理ですから。自分で自分の学びをデザインするために、必要な知識であり、技術であり、まさにやり方、作法というものを教員がきちんと伝えることが大切です。それは「総合的な探究の時間」を使って相当できると思うのです。

――ただ、先ほどの例のように、探究学習に消極的な教員もいると聞きます。

「探究授業が大事という意識になるためには、どうしたらいいですか」と、よく聞かれます。どうすれば先生の意識改革ができますか、という問いです。

実は、私は教員の意識を変えようなどと思ったことは一度もありません。意識を変えるなんて、本当に大変なことです。そうではなくて、行動を変えれば、意識はついてくるのではないでしょうか。やり方を変えるということです。

堀川高校では、基本的に全員が「総合」の担当でした。自分が担当してこそ初めて、取り組みの意味を見いだそうとするし、実際に分かってきます。それに、面白さも経験できます。

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