東日本大震災の発生から10年となった3月11日、当時74人の児童と教職員10人が津波で犠牲となった宮城県石巻市の大川小学校と、全国の約3000人の子供たちをつないだカタリバ主催のオンライン授業が行われた。当時6年生だった次女のみずほさんを亡くした元中学校教員の佐藤敏郎さんが「先生」となり、命を守るための防災の本質とは何かを伝えた。
もしもはいつもの中にある

震災遺構として保存されることが決まった大川小では、現在は校舎の中への立ち入りができないことから、佐藤さんは校舎を見下ろす山から中継を行った。その山は学校からすぐ登ることができ、授業でも使われることがあった。もしそこに避難していれば、津波から逃れることができたとされる場所だった。
「よく聞かれることがあります。『ずいぶん寂しい学校ですね』と。確かに今は壊れた校舎がぽつんと建っているだけですが、ここには町があって、生活があって命があって、子供たちが走り回っていました。それを思い出しながら、今日は話をしたいと思います」と語り、授業を始めた佐藤さんは動画や写真などを見せながら、震災前の大川小学校の日常風景を紹介していった。
10年前のこの日、午後2時46分に宮城県の太平洋沖を震源とする巨大地震が発生してから51分後、大川地区では津波が川を逆流し、がれきや木々と共に町を襲った。大川小にいた子供たちと教職員は、いったん校庭に出て整列した後、山とは反対に津波が流れてくる方向に向かって逃げてしまったと考えられている。
「なぜ、あのとき逃げることができなかったのだろう?」という問い掛けに、参加した子供たちは「自分で判断できなかった」「怖くてどうすればいいか分からなかった」「津波への対策が不十分だったのではないか」と当時の状況を想像しながら意見を言い合った。
子供たちの意見に耳を傾けていた佐藤さんは「(津波が来ることを)予想していたのに、本気で準備していたのかということです。いざというときには誰もがパニックになる。だから、パニックにならないときに命を救うんです。それは例えば今日です。今は震災後10年と言われていますが、次の震災前でもあるんです。平和なときにちゃんと準備をするかどうかです。でも平和なときほど、あまり気が付かない」と問題提起。
「『もしもはいつもの中にある』ということが、この10年間でようやく分かりました。失う前に、悲しむ前に知るべきだったと思っています。あのとき、命を救うには山に上るという判断・行動のスイッチを入れていればよかった。そのスイッチがいざというときに入れやすくなっているかどうか。スイッチが固かったり、奥にしまって見えなかったりしていないか。あるいは、スイッチがないという人はいないでしょうか」と問い掛けた。
大川小は未来を拓く場所
卒業を目前に控えていたみずほさんはその日、4月から入学する大川中学校の制服に袖を通し、家族に見せるはずだった。教員だった佐藤さんが、隣町の中学校で津波から難を逃れ、みずほさんの遺体と対面したのは2日後のことだった。校舎の周りはがれきで埋もれ、泥だらけになったランドセルと子供たちの遺体が並べられていた。
その光景を佐藤さんは「忘れられないし、忘れてはいけない。突然地域から子供の声が消えてしまいました。何と伝えたらいいのか、私はまだ分かっていないと思います。受け止め切れていないのです」と語る。
授業の終盤、佐藤さんは、子供たちが1列になって逃げた、校庭から道路に出る狭い通路の写真を見せながら、次のように話した。
「娘はどんな顔でここを通っただろうと思うんです。おびえていただろう、すごく怖かったろうと。校庭を出て1分後に津波が来たということを、いつも想像するんです。その中に皆さんもいると思ってみてください。必死に逃げる自分がいる。大切な友達や家族がおびえながら逃げていく。それを想定してほしい。それが想定です。津波が来ると言われていて、いろいろな訓練もしました。準備もしました。でもその中に私は、娘を入れていませんでした」
大川小の野外ステージには、校歌のタイトルにもなっている「未来を拓く」と題した絵が描かれている。授業の最後に佐藤さんは「震災前からここは『未来を拓く』がキャッチフレーズでした。これからもそうなればいいなと思っています。今日帰ったら、友達や家族に『大川小はどんな場所?』って聞かれたら、『未来を拓く場所』と答えてください。そして、この場所から未来を拓くにはどうすればいいか、ぜひ考えてみてください」と子供たちに思いを託した。
授業後、佐藤さんは記者らに対して「(3.11は)特別じゃなかった日が特別になったということ。そういうことが分かってもらえたら。10年前の大川小も、卒業式1週間前の普通の日でした。いつもがすごく大事だということです。今日は先生をしているなという感じがしました。オンラインで子供たちとつながり、教室が広がったような感じ。果てしなく教室は広い。そんな感覚でいます」と授業を振り返った。
次のニュースを読む >
関連
- 【3.11から10年】大川小学校から「未来」を見つめる
- 【3.11から10年】 高校生の「自画像」が教えてくれる
- 【3.11から10年】相馬高校の卒業生 荒優香氏に聞く
- 【3.11から10年】この10年で防災教育はどう変わったか
- 【3.11から10年】新たな学校を地域と作る 福島県浪江町
- 【3.11から10年】ふたば未来学園 「未来創造探究」の誕生
- 【3.11から10年】ふたば未来学園 「変革者」たれ!
- 「津波を知って」 被災した大学生が小学生に防災授業
- 3月11日を防災教育と災害伝承の日に 専門家が呼び掛け
- 「子供を守る」 教員から転身して挑んだ防災教育奮闘記
- 東日本大震災から9年 記憶や教訓の継承に、学校は
- 大川小津波訴訟の確定受け 学校防災の有識者会議設置へ