夏に日本教育学会全国大会 実行委員長に聞く本質的課題

日本教育学会は8月25~27日に、80回目となる大会をオンラインで開催する。2日目と3日目にはそれぞれ学会員以外も参加できる公開シンポジウムが予定され、6月1日からは参加申し込みが始まった。8月26日午後3時からのシンポジウムⅠでは「コロナが投影する学校教育の『本質』」を、翌27日午後1時半からの公開シンポジウムⅡでは「STEAM教育論再考:その現在とこれから」がテーマ。コロナ禍で大きく変わりつつある日本の教育を、教育学はどう捉えていこうとしているのか。大会実行委員長の浜田博文筑波大学教授に、シンポジウムの狙いを聞いた。

大会実行委員長の浜田教授(2020年1月撮影)

筑波大学・つくば市から学校教育の本質を討論
――シンポジウムでこれらのテーマを取り上げる理由は何でしょうか。

全国大会の公開シンポジウムは、例年、実行委員会で決めています。今回はオンラインでの開催ではありますが、ホストは筑波大学なので、本学や茨城県つくば市の特色を打ち出したいと、実行委員会の中でアイデアを出し合いました。

まず、シンポジウムⅡのSTEAM教育は、つくば市は多くの研究機関が集積する「科学のまち」であるということに加え、本学の「教育学域」という教員組織には教育学の専門分野がそろっていて、教育基礎から教科教育まで幅広い研究者がいます。STEAM教育のように、さまざまな教科領域を横断する教育を議論するにはまさにうってつけの環境です。

シンポジウムⅠは、昨年の長期にわたる一斉休校で、私たちは、子供たちが学校に来て、学んだり遊んだりしている光景が当たり前のものではないことに気付かされました。教育における不易の部分、つまり、近代学校教育の本質を、教育学として捉え直し、ポストコロナの学校教育の在り方を議論していく必要があります。

――コロナ禍で日本の学校教育は大きく変わりました。特にGIGAスクール構想で小中学校が1人1台環境になったことには、大きなインパクトがあります。

コロナ禍の学校教育に対応していくためにICTの活用が必須であることは間違いないと思います。その点で、つくば市はコロナ以前から学校現場へのICTの導入を積極的に進め、さまざまな知見を蓄積していたことで、コロナ禍でもその経験を生かして対応することができた自治体の一つです。シンポジウムⅠでは、つくば市の森田充教育長に、そうした取り組みについてお話をいただきます。

一方で、GIGAスクール構想の中心は小中学校で、どうしても高校や特別支援教育の視点の議論が少なかったようにも感じます。そうした問題意識から、シンポジストには元全国高等学校長協会会長の宮本久也東京都立八王子東高校統括校長や、特別支援教育が専門の髙橋智日本大学教授にも登壇していただくことになりました。

そして、小国喜弘東京大学教授には指定討論者として、これまでの学校教育の歴史を踏まえながら、立場の異なるシンポジストのお話に通底する論点を提示していただければと思っています。

学級規模以外の配置基準の議論必要
――コロナ禍を契機に、これまで教育界で懸案だった小学校2年生以上での35人学級も実現しました。

35人学級の実現はまさに夢のような話で、それ自体はとてもいいことだと思います。学級編制の基準を35人としたことで、実態としては1クラス30人前後という学校が多くなり、教員の目も子供に行き届くようになるでしょう。

一方で、学級数を基準とする教員配置そのものを考え直す議論があってもいいように思われます。これまで、文科省は学級数を基準に教員の配置数を算定してきたわけで、学級規模を小さくするのは教員の数を増やすためでもあります。

しかし、現実問題として教員1人当たりが抱えている業務量が多すぎるという実態は、あまり変わらないのではないでしょうか。なぜかと言えば、学級数が増えると、一つの学校内で実施すべき授業のコマ数も増えるからです。学級数だけを基準とするのではなく、一つの学校が遂行すべき業務の総体を授業時間数の合計などを基に算出し、教員が1日8時間でこなせる業務量(例えば授業数の上限、そのための準備時間、打ち合わせの時間など)を設定して、それに基づいて各学校に必要な教員数を割り出すという考え方があってもいいはずです。学校現場のキャパオーバーははっきりしているのに、働き方改革の議論では勤務時間管理ばかりが先行してしまい、学校全体の業務量を客観的にどう捉えるかという視点が欠けていると思います。

また、学級規模を小さくすることと、教育方法をどうひも付けるかという議論はまだ不十分ではないでしょうか。

「黒板とチョークを使った一斉指導はこれまでの教育の悪弊で、これからは1人1台端末で実現する個別最適化された学びこそが子供にとって最善」という潮流がありますが、果たしてそんな単純な話なのかと思います。

1人1台端末で、幼いころから個人の学習履歴を管理して、活用もしていく。そうすることによって、本人にとって最適な学びが提供されるようになるとアピールされますが、これまで存在したさまざまな「間(ま)」は、「無駄なもの」として失われてしまいます。

例えば、教師が黒板に書いていることをノートに鉛筆でまとめる。この行為はすごく時間がかかり、非効率的であるように思われますが、その行為を通じて子供たちは思考しているのです。「あなたに必要な学習はこれですよ」とAIによっておすすめされた課題を効率よくこなしていくことが、果たして主体的な学びなのでしょうか。

言葉以外の表情や間、文脈といった多岐にわたる情報を伴う対話的な学びは、リアルな教室だからこそ深まります。STEAM教育のような探究的な学びも、最初から答えに向かって一直線に進むのではなく、手を動かしながら回り道や失敗を繰り返すプロセスにこそ価値があるのです。

しかし、そういう考えは今、なかなか受け入れられなくなりつつあるように感じます。「これだから教育学は古い」と。残念ながら、私たち教育学者も、こうした学校教育の本質を納得してもらえるような明確なエビデンスを持ち合わせているわけではありません。その点は教育学の大きな課題です。

教職の専門性が問われる時代に
――コロナ禍で、改めて教育学研究の役割も問い直されているのではないでしょうか。

昨年の全国大会はコロナ禍のため、ホームページ上で研究発表の資料を公開するくらいのことしかできず、さらにその前の大会は世界教育学会との共同開催でした。今回はオンラインではありますが、久しぶりにじっくりと腰を据えて日本の教育学研究の議論ができると言えます。

今、国では教員制度改革の議論がスタートし、評判のよくなかった教員免許更新制が廃止されるかどうか、注目が集まっています。しかし、その陰で教員免許制度そのものの形骸化が進むのではないかと危機感を覚えています。各地の教員採用試験の倍率が低下する中で、大学の教職課程を履修してこなかった人でも簡単に教員になれるようにして、何とか人手不足を解消しようとしているのだとすれば、それこそ学校教育の危機です。

ICTによって、便利で分かりやすいさまざまなデジタル教材が普及するこれからの時代に、改めて教職の専門性とは何かが問われています。そういう意味でも、今回のシンポジウムにはぜひ、学会員ではない学校現場の教員の方にも参加していただき、研究者と教員が一緒に議論する場にしていきたいと思います。

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公開シンポジウムへの参加は、日本教育学会第80回全国大会のホームページで申し込める。公開シンポジウムのみに参加する場合は無料。

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