子どものための物語を創る 那須正幹さんが伝えたこと

 遊びは勉強、友達は先生――。「ズッコケ三人組」シリーズなどで知られる児童文学作家の那須正幹さんが7月22日、肺気腫で死去した。1978年からスタートした「ズッコケ三人組」シリーズは2004年に50巻で完結したが、今もなお多くの子どもたちが手に取り、読書の楽しさに誘われている。多くの作品を通じて、那須さんは子どもたちに何を伝えたかったのか。子どもたちが生きづらさを感じているコロナ禍の今だからこそ読みたい、那須さんの作品の魅力とは――。

子どもだからといってごまかさない

 運動が得意なお調子者だが、リーダーシップのあるハチベエ、いつもトイレにこもって本を読むほどの探究心の持ち主ながら、なぜか学校の成績は今一つのハカセ、食いしん坊でおっとりしているが、誰に対しても優しいモーちゃんが活躍する「ズッコケ三人組」。三人が通う花山第二小学校を舞台にした学園ものから、サスペンスやミステリー、SF、冒険譚まで、さまざまなジャンルで三人組が大活躍するのが魅力だ。子どもたちは面白そうな巻を手に取ると、さらに別の巻にも興味が湧き、いつしかすっかり虜になってしまう。

完結した後も子どもたちに読まれ続けている「ズッコケ三人組」シリーズ(ポプラ社提供)

 「先生は、書いているうちに次のアイデアがどんどん浮かんでくるそうで、スランプになったことはないといつもおっしゃっていました」

 そう語るのは、「ズッコケ三人組」を刊行しているポプラ社編集部で、那須さんを担当していた門田奈穂子さんだ。「ズッコケ三人組」はほぼ半年に1冊ずつのペースで刊行され、あとがきには決まって、次の巻はどんな話になるかが予告されていた。まだ原稿がないにもかかわらず、那須さんの頭の中にはすでに次回作の設計図が広がっていたようだ。

 今でこそ世代を超えて多くのファンがいる「ズッコケ三人組」だが、当時は子どもが読む児童書に漫画のような挿絵があることや、エンターテイメントを意識した内容が、保護者や教育関係者から批判されることもあった。しかし、そんな大人たちの声を一蹴したのは、子どもたちの圧倒的な支持だった。

 那須さんはシリーズを通して、子どもたちには社会の構造や問題もごまかさずに伝えた。例えば、13巻目の『うわさのズッコケ株式会社』。カタクチイワシのシーズンになると港に多くの釣り客が集まることに目を付けた3人が、クラスメートから出資を募って軽食を売り出す。「お金儲けの話」という当時の児童書の世界のタブーも跳ね除け、株式会社の仕組みから利益の計算、仕事の苦労ややりがいまでをストーリーに載せて、面白く描いた。

 ときには大人が暗に求めている「子どもらしさ」も否定した。17巻目の「ズッコケ文化祭事件」では、三人組が文化祭の劇の脚本を、地元ではそこそこ名の知れた児童文学作家に頼んでみたものの、出来上がってきたものにクラスメートはみんな不満顔。結局、子どもたちが自分たちでやりたい内容を考えながら脚本に手を加え出し、童話だったはずが最後は現代アクション活劇となってしまう。

 劇が終わった夜、作家に事情を説明しに行った担任の宅和源太郎先生が、怒りが収まらない作家に対して放つ次の一言には、多くの大人がはっとさせられるに違いない。

 「あんたは、じぶんの心のなかにある子ども像をこわされるのがこわい。そうじゃないですか」

身近な存在がやがてあこがれに
児童文学作家の那須正幹さん(ポプラ社提供)

 常に子どもたちの心をつかんできた「ズッコケ三人組」が、節目とはいえ50巻で終わったのはなぜなのか。その理由を門田さんは「最初のころは、三人組は読者にとって地続きの共感できる存在だった。しかし時代が変わり、次第に身近な存在から憧れへと変わっていった」と指摘する。実際、数年前にある小学生の女の子から「私は昭和時代が大好きで、『ズッコケ三人組』を読みました。パソコンやインターネットにとらわれないなんて、いいなぁ」というファンレターが届いたこともあったという。

 そんな現代の子どもたちに向けて、2018年に那須さんが書き下ろしたのが『秘密基地のつくりかた教えます』だ。夏休みに見つけた捨てネコを育てることをきっかけに、小学生の男の子たちが裏山で竹を切り出して小屋を建て、本格的な秘密基地をつくってしまう展開には、門田さんも思わずうらやましさを感じたそうだ。そこには、便利になった一方で自由に遊べなくなった今の子どもたちにとって、やりたくてもできないあこがれの世界が広がっていた。

 読者からサインを求められた那須さんが、好んで色紙に添えた言葉がある。

 「遊びは勉強、友達は先生」

 ハチベエたち三人組も、いろいろな経験から学び、互いにぶつかり合うこともあるが、決して相手を馬鹿にはしない。それぞれの得意なことや苦手なことを認め合って、のびのびと生きてほしい。これこそが、数多の作品に込めた那須さんの思いなのかもしれない。「先生はずっと子どもたちに向けて物語を書き続けてきた。そこに描かれる大人は、でしゃばらず、子どもを縛り付けず、そばで見守っている。大人になってからも、ときどき『ズッコケ三人組』を手に取ってもらえたら」と門田さん。不思議なことに、シリーズが始まってから40年以上が過ぎた今でも、編集部には月に何通か、すでに募集していないはずの「ズッコケファンクラブ」の入会申し込みが届くそうだ。

次の世代に託した平和への思い

 「子どもたちは休み時間になると本棚に寄りかかりながら、『ズッコケ三人組』や『お江戸の百太郎』をよく読んでいた。面白い本はすぐに子どもたちの口コミで広がる。一度に2、3冊まとめて借りていく子もいた」

 埼玉県の公立小学校にある図書館で司書として勤務していた近藤君子さんは、那須さんが書いた本の人気ぶりをそう振り返る。そんな近藤さんが「この一冊」として挙げるのが、1995年に刊行された『絵で読む広島の原爆』(福音館書店)だ。

那須さんの文章と西村繁男さんの絵で原爆の事実を伝える『絵で見る広島の原爆』(福音館書店提供)

 3歳のときに爆心地から3キロほど離れたところにある自宅で被爆した那須さんが文章を担当し、西村繁男さんが1年近く広島に移り住み、被爆者の証言などを基に当時の様子を絵にした。原子力爆弾とはどういうものなのか、なぜ広島に原爆が落とされることになったのか、放射能が人体に及ぼす影響、終戦後も世界中で繰り広げられた核開発など、絵と絵の間に、年表や図などの資料も入った詳細な解説文が入っているのが特徴だ。

 「難しい科学的なことも、子どもたちに分かりやすく、かつしっかり内容を伝えていて、これまでの戦争を取り上げた作品とは一線を画していた。絵本の中で那須さんは、世界の核を巡る状況を改善することは不可能ではなく、『それが、あなた自身の未来でもある』と言っている。この文章には『戦争や原爆のことを次の世代が事実としてしっかり受け止め、未来を変えていってほしい』という、那須さんの思いが託されているように感じる」(近藤さん)

 那須さんは、近藤さんも所属する「親子読書地域文庫全国連絡会」が主催する全国交流集会で、講演をしたこともある。那須さんは講演会だけでなく、その後2日間にわたった分科会にも出席し、参加者と熱心に交流していたそうだ。ユーモアを交えながらも、子どもたちに本を届ける大切さを真剣に呼び掛けていたという。

 「多くの作品を書いてきた那須さんだが、子どもたちに届けたかったことは共通していたと思う。『ズッコケ三人組』で読書が好きになった子どもに、『この本もおすすめだよ』と声を掛けるのは、司書や先生の役割。これからも、子どもたちにいろいろな本との出合いをつくっていかなければ」と、近藤さんは那須さんから受け取ったメッセージの意味をかみしめていた。

(藤井孝良)

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