学校デモクラシーの危機(前編) 政治学者が捉えたPTA問題

 学校の中にも「政治」はある。政治学者の岡田憲治専修大学教授は、昨年度まで3年間、子どもが通う公立小学校のPTA会長として、学校という小さなコミュニティーで政治を実践してきた。その体験を通じて見えてきた学校の問題を、政治学の視点からどう捉えているのか。インタビューの前半では、PTAやコミュニティ・スクールの活動を通じて、教員が置かれている状況に切り込む。(全2回の1回目/2回目はこちら


“魔界”に引きずり込まれた政治学者

――PTA会長になったときの第一印象はどんなものだったのでしょうか。

 はっきり言って魔界ですよ。目の前で起こることの一つ一つがアンビリーバブルなことばかりでした。職場では当たり前だった認識やロジック、言葉遣い、物事の決め方などが全く通用しないので、最初は衝撃的な日々でした。

PTA会長として、政治学者として、学校現場を捉える岡田教授(本人提供)

 僕の子どもが通っているのは、都内の住宅地にある児童数800人くらいの公立小学校です。男性は言うまでもなく、女性保護者も約7割がオフィスワーカーで、共働きの家庭が多く、自営業や専業主婦は少数派になりつつあります。両者のライフスタイルはかなり違っていて、日常の時間の使い方が異なっています。そんな分断された所に、PTA会長として放り込まれてしまったのです。僕は職業柄、他のオフィスワーカーの人に比べれば時間的に融通が利きやすいこともあり、オフィスワーカー側の人たちに強く推されてPTA会長になったのですが、そこで言われたのは「20世紀型のPTAを続けていては、いつかできる人がいなくなる」ということでした。

 これまでのように、一部の人が超人的な力を発揮するPTAに対して、協力できないオフィスワーカーの人たちは、ある種の申し訳なさを感じていたのです。誰だって子育てに関心がないわけではないし、力になれるならなりたいと思っている。でも「平日の午後3時に打ち合わせのために学校に来てください」と言われても、オフィスワーカーは行けません。多くの保護者が力を発揮できるシステムをどうつくるかが、自分自身に課せられたミッションでした。

 会長に就任して1年目は、とにかくPTAで何が起きているかを徹底的にウォッチすることにしました。その結果、役員会は月に2回も開く必要はないのに、なぜかそれが慣例的に続いていたので、次年度からは月に1度ある、土曜登校の日の午前中に集中して行うことにしました。すると、父親の役員が5人も増えました。「土日であればできるよ」と、企業の第一線で活躍する人たちが手を挙げてくれたのです。

 実際、PTAはやってみると面白いものです。校長が伸び伸びとやらせてくれたことも大きかったですが、子どものためだけじゃなくて、大人自身の成長につながっていることも実感できます。僕は昨年度末で任期が切れて会長を降りましたが、後任の人たちにもPTAの仕組みや理念を伝えることができました。僕自身はその後も、地域学校運営協議会の委員として、そして一人のPTA会員として学校に関わり続けています。

Teacher不在のPTA

――PTAでの活動を通じて、今の学校はどのように映りましたか。

 自分が子どもだった頃と比べて、いろいろなものが変わっていて衝撃を受けました。特に感じたのは先生の立ち位置です。PTAのTは「Teacher」ですから、総会などには先生方も出席しますが、ただ黙って座っているだけ。これではPTAにコミットしているように全く見えません。

 半世紀ほど前まで、学校の先生は地域から尊敬される存在でした。校長先生は人格者で、教育への高い志と能力を持ち合わせている存在と捉えられていました。戦争を経験し、過去の自分を悔恨した世代だったことも大きいと思いますが、それゆえ戦後民主主義の実現に向けて大きな期待を担っていたし、発せられる言葉には力があった。そんな立派な校長先生の下に、横並びで対等な関係の教員組織がありました。

 しかし、今の学校はピラミッド型の組織になり、職員会議では意見も言えなくなってしまいました。自分の意見も言えず、管理職の顔色をうかがいながら日々をやり過ごす。

 そんな中で襲ってきたのが新型コロナウイルスです。昨年の臨時休校では、近隣のどの学校にも、クレームの電話がたくさんかかってきたそうです。でも、私たちの学校はPTAを通じて「今、学校を責めても誰も幸せにならない。こんなぎりぎりの状況で、先生たちは一生懸命やってくれているよ」とメッセージを出し続けました。

 学校ではなぜ、欠席や遅刻の連絡をノートに書いて、同じ登校グループの子どもに持って行ってもらわなければならないのか。それは学校の電話は回線が2つしかないので、電話連絡にするとパンクしてしまうからです。教員用のパソコンはYouTubeも見られないし、保護者向けに一斉送信されるメールも学校にいないと確認できません。そんな世間の常識から3周遅れみたいな学校の状況が、このコロナ禍でよく見えてきました。

学校の問題の根本は「T」に行き着く

――まさにコロナ禍は、学校の現状を浮き彫りにしたと思います。

 今年で4年目ですが、私は学校運営協議会の構成員です。3回目の緊急事態宣言で、今年もいろいろな学校行事や地域の会議などが中止になりました。その流れで「学校運営協議会も中止に」と真っ先に上意下達を実践しようとします。でも僕は、「学校運営協議会は最後まで残って、皆さんと話し合うべき協議体ではないのか?」と思いました。

 学校運営協議会は法律に基づいた組織で、学校のカリキュラムに意見を言えるなど、意外にもかなり強い権限が与えられています。だからこそ、この危機的な状況において子どもたちにどう対応するか、学校運営協議会で知恵を出し合わないと駄目じゃないですか。行事も中止にするばかりではなくて、何とかやれる方法があるかもしれない。正直なところ、私が委員として入って間もない頃は、当時の校長とのただの茶飲み話の場みたいな面もあったのですが、コロナ以降、メンバーも増えて、少しずつみんなで話し合う雰囲気が生まれてきました。

 組織が危機に陥ったら、外に開くことが基本です。そうやって風通しを良くしないと、知恵も入ってこないし、いろいろな人との協力関係も築けなくなってしまう。ところが日本の学校はその逆をしがちです。危機になると閉じようとする。

 教育行政は、文科省、教育委員会、学校という縦のラインがある一方で、上は行政指導といった強い権限を行使せずに、「強い要望」などの表現で現場を縛ろうとします。つまり、方向性は示したけれど、実際に判断するのは現場だと言いたいわけです。そうであるならば、例えば、泊りがけの校外学習だって、ある程度の安全が担保できるなら学校の判断で実施して問題ないはずです。しかし、そんな判断ができる校長がどれくらいいるでしょうか。みんな教育委員会の意向を忖度し、周りの学校と歩調を合わせようとします。もし、自分で判断した校長がいたとしても、そのことを誰からも褒められません。今の校長はすごく孤独だと思います。

 結局、PTAをやって一番よく分かったのは「T」の問題でした。どうして学校がこんな変なことになっているのかを考えていくと、たどり着くのが「T」なんです。同時に、この問題は非常に根深くて、目の前にいる「T」を責めても、何の問題解決にもならないことも痛感しました。

(つづく)

(藤井孝良)

【プロフィール】

岡田憲治(おかだ・けんじ)専修大学法学部教授。専門は現代デモクラシー思想、民主政治体制。著書に『権利としてのデモクラシー』(勁草書房)、『言葉が足りないとサルになる』、『静かに「政治」の話を続けよう』(いずれも亜紀書房)、『ええ、政治ですが、それが何か?』(明石書店)、『デモクラシーは、仁義である』(KADOKAWA)など多数。今年5月に子どもの通う小学校でPTA会長を務めた経験から、地べた目線の民主主義について考え、実践した「政治学者、PTA会長になる!」が毎日新聞で連載され、注目を集める。

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