コロナ禍での部活動 『あの夏の正解』著者・早見氏に聞く

 新型コロナウイルス感染拡大の影響で、昨年に春のセンバツ大会に続いて夏の甲子園大会も中止という未曽有の試練に直面した、高校野球の強豪である愛媛県の済美高校と石川県の星稜高校に密着し、球児と指導者の本音に迫ったノンフィクション『あの夏の正解』(新潮社)。コロナ禍を生きる子どもたちに読ませいたいと、全国1000校以上の学校司書から注文が殺到している。自身も強豪校の元高校球児だった著者の早見和真氏に、コロナ禍で大事なものを奪われた現代の子どもたちが、それにどう向き合い、乗り越えようとしていたのかについて聞いた。

流されて終わらないことが大切
コロナ禍を生きる高校生には「ただの被害者で終わってほしくない」と早見氏(写真提供 新潮社)

――昨年、高校球児は最大の目標でもある「甲子園」に挑戦することさえかなわずに、夢を奪われました。野球に限らず、多くの部活動において同様の状況でしたが、両校の高校生への取材を通して、彼らがこの経験から得たものはどんなことだと思いますか。

 彼らが何を得たのかは、僕には分かりません。分からないけれども、「目指していたものに挑戦する権利さえ与えられなかった」というこの経験は、ほぼ全ての大人がしていないことです。そうした得難い経験をしたという認識は持ってほしいと、伝え続けてきました。

 「前向きになれ」と軽々しく言うことはできません。でも、あの多感な時期に、最も大事だったものを奪われ、それでも自分で思考して最後の瞬間を迎えた彼らは、強くあるべきだし、大人になった時の彼らは、流されるように生きてきたいまの大人たちを淘汰(とうた)していくべきだと本気で思っています。

――2年ぶりに行われた夏の甲子園大会は、和歌山県代表の智辯和歌山高校の優勝で幕を閉じましたが、今年もコロナ感染者が出たために地方大会や甲子園大会を辞退するなど、コロナに翻弄(ほんろう)される状況は続いていました。このような状況下でも高校生が「やり切った」「後悔がない」と思えるには、何が必要なのでしょうか。

 『あの夏の正解』の取材を始めたのは、夏の甲子園の中止が決定した昨年5月でした。その段階では、何をもって彼らが納得して終われるのかが、全く見えませんでした。それは、元高校球児だった僕の頭が、「甲子園を目指す最後」しかイメージできなかったからです。

 昨年のように、全ての大会が取りやめになるような状況では、大人が何を用意して、何を言い聞かせても、納得いくはずがないんです。ならば、終わらせ方を自分たちで想像させて、そこに向かわせるしか、方法はなかったと思います。

 流されるように5月からただ淡々と「夏まで野球を続けるものだ」という先入観の中で続けていたら、「甲子園を奪われた被害者」という終わり方をしただけだったでしょう。でも、僕が出会った彼らは自分の頭で考え、もがき、自らそれぞれのラストをつかみにいった。流されて、終わらなかったことが大事だったと感じました。

 とりわけ野球は顕著なのかもしれませんが、上意下達でしかなかった部活動の在り方も、これを機に変わるのではないかと期待しています。高校生は自分たちで思考して、選び取っていく力があるのに、それを奪ってきたのがこれまでの部活動だったのかもしれない。そういう目線も必要だと思います。

指導者は正しく揺らいで、正しく悩んでいた

――指導者にとっても、子どもたちに今まで当たり前だった「区切り」を用意できない、未曽有の事態だったと思います。早見さんに指導者の姿はどのように映っていましたか。

 僕の目には、両校の指導者が正しく揺らいで、正しく悩んでいたように見えました。初めて指導者の顔が見えたような気がして、こんなにも正しく悩んでくれているんだと、驚いたほどです。

 僕が高校時代に選手目線で見ていた指導者は、あまりにも屈強だったし、あまりにも揺らぎがなかったから、それを信じざるを得ませんでした。だから、指導者というのは、自分が何かを奪われた経験もないのに、自分が正しいかなんて分からないのに、「この状況はこうだから、お前らはこうしたらいい」というように、決めて付けて言うんだろうと思っていました。

 でも、今回取材した両校の指導者は、そうではありませんでした。「自分が話していることは正しいんだろうか」と迷いを口にできる二人の指導者に出会えて、すごくうれしかったですね。

 同時に、本当は僕らの時代の指導者にもこういう揺らぎはあったのかもしれない。でも、僕らには見せなかっただけなのかもしれない。「先に生まれた者」として、屈強にそこにいただけなのかもしれないと、初めて想像を巡らせました。

――本には、あの夏を終えた高校球児へのインタビューはありましたが、最後に両監督へのインタビューが載っていなかったことが気になりました。

 僕は両校の指導者が負けた翌日から新チームの指導をしていたことに、すごくショックを受けたんです。3年生はあの夏を駆け抜け、彼らなりの終わりを見つけました。でも、指導者は、また次の日から新チームにノックを打っている。そこに僕は無間地獄を感じたんです。

 二人の指導者にもそれに近い認識はあって、「そうなんです、ずっと続いています」と言っていました。ならば、彼らにラストインタビューをするのは、このタイミングじゃないと思いました。この本が、何年後かに文庫化されるときに、改めて「あの夏はどんな夏だったのか」を聞きにいこうと思っています。

――甲子園がなくなったことで、見えたこともあったのでしょうか。

コロナ禍で苦悩する球児の本音に迫った本書は「学校図書館重版」が決定した(写真提供 新潮社)

 ある一人の選手が「甲子園がないから野球が楽しかったのかもしれない」という意見にたどり着いた時には、なるほどと思いましたし、やっぱりそうだったのかという感覚もありました。

 高校球児にとって「甲子園」は尊いし、特別であるという前提は変わらなくとも、甲子園があるということで無用なプレッシャーが生まれているのかもしれません。大会が成長させるところもあるけれど、大会が「野球を好きだ」という感情を奪っているのかもしれません。

 昨年の夏、僕は「甲子園とは何なんだ」ということを考え続けました。いまだにその答えは出ていないけれども、光と影の両面があるとは感じていて、中止になったことで、よりいろいろなことがクリアに見えたのだと思います。

――コロナ禍を生きる子どもたちにメッセージをお願いします。

 自分は損している、自分は恵まれていない、自分は被害者だと思っている子が9割だと思います。でも、そのまなざしをひっくり返すだけで、見え方が違ってきます。

 この経験は本当に貴重だと、僕は思っています。誰かに敷かれたレールではなく、自分のレールを敷ける子が、かっこいい大人になっていけるはずです。当たり前のようにオンライン授業を受け、当たり前のように自分の好きな動画だけを見るのではなく、同じ時間を使って自分は何ができるのか、何をすべきか、自分の頭で考え抜いてほしい。そう強く願っています。


【プロフィール】
早見和真(はやみ・かずまさ)

1977年、神奈川県生まれ。高校野球の名門である神奈川県桐蔭学園高校の野球部に所属していた。2年先輩に高橋由伸氏がいる。2008年、強豪校野球部の補欠部員を主人公にした青春小説『ひゃくはち』で作家デビュー。15年『イノセント・デイズ』で日本推理作家協会賞(長編及び連作短編集部門)を受賞。20年『店長がバカすぎて』で本屋大賞ノミネート、『ザ・ロイヤルファミリー』でJRA賞馬事文化賞と山本周五郎賞を受賞。『ひゃくはち』『イノセント・デイズ』以外にも、『ぼくたちの家族』『小説王』『ポンチョに夜明けの風はらませて』が映像化されている。他の著書に『かなしきデブ猫ちゃん』(絵本作家かのうかりん氏との共著)などがある。『あの夏の正解』は、「2021年 Yahoo!ニュース|本屋大賞 ノンフィクション本大賞」にノミネートされている。

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